【麒麟がくる】明智光秀その人柄 「光秀と大黒様」の逸話

投稿者: | 2018年5月25日

2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公明智光秀。主である織田信長に謀反を起こしたことから、負のイメージが大きかったことは否めません。ただ歴史は勝者により作られ、あるいは書き換えられがちです。これまで石田三成をはじめとして様々な人物の再評価がありました。そこで大河では新しい人物像が描かれることが期待される明智光秀のその人柄を軍記物などの逸話から想像したいと思います。

光秀と大黒様

漂泊

弘治2年4月、美濃の国では、斎藤義龍が父である道三を長良川の戦いで破りました。明智氏は、道三方であったため一族の多くは討ち死、または離散し、光秀もまた漂泊することになります。

大黒様を拾う

光秀は越前の国の東江川を渡っているときに大黒様を見つけて拾いました。「大黒様は福の神だ。きっと良いことがあるに違いない」ととても喜んで家に持ち帰り、棚の上において朝晩と拝みました。

千人の司なり

ある人がこのことを聞いて言いました「さても、めでたき福の神様を迎えられたことでしょう。福の神様は千人をまとめることができる司(つかさ)であるので、信心されるがよいでしょう。」と。

取棄てたり

光秀はこれを聞いてとても驚きます。「なんとこの大黒殿は、千人の司なのか!尋常の凡夫でも千人の司をする人は多いものだ。福の神といっても、侍が出世を願って頼むべき神ではない。」と言って取り捨ててしまいました。

逸話から

こちらの逸話は、名将言行録からのご紹介しました。名将言行録は様々な逸話を集めた逸話集で、軍記物からの逸話が多いので、実話であるかは今となってはなかなか検証はできません。ただ、逸話は、人柄などの伝承などが元になっていることも多く、どんな人だったのかを想像する楽しみを与えてくれます。この逸話からは光秀がどんな人だったのか想像してみたいと思います。

まず、だれもが思うのは「大望を持っていたから1000人くらいを束ねる神様などに頼ることはよしとしなかったのだな。さすが光秀!」ということでしょうか。

うがった見方では「あれ?大黒天が1000人の司だという話をすぐに間に受けて、これまで熱心に拝んでいた神様をすぐに捨ててしまうの?ちょっと薄情?捨てなくてもどこかのお寺に持っていけばいいのに」というふうに感じる人もいるかもしれません。

みなさんはどのように感じられたでしょうか??