【横浜開港】 東海道神奈川宿に置かれた各国の旧領事館等

投稿者: | 2018年5月28日

安政5年(1858)に結ばれた日米修好通商条約(安政の五か国条約)に基づき、東海道の宿場町神奈川湊の開港が決まりました。しかし、東海道の宿場町では江戸まで一本道ということもあり、外国奉行岩瀬忠震らは東海道から少し外れた横浜を開港(1859)することとしました。しかし、各国はあくまで東海道の宿場として栄えていた神奈川に領事館を開くこととなります。やはり辺鄙な漁村である横浜には不便を感じたのでしょう。このとき、各国の領事館となったのが、神奈川宿近隣のお寺でした。現在も残るそれらのお寺を訪ねました。

旧アメリカ領事館(本覚寺)

開港当時、ハリスは自ら見分け、渡船場に近く、丘陵上にあり、横浜を眼下に望み、さらには湾内を見通すことができる本覚寺をアメリカ領事館に決めました。

旧アメリカ領事館(本覚寺)

領事館時代に白ペンキを塗られて山門は、この地域に残る唯一の江戸時代に遡る建築です。この地域は、関東大震災や横浜空襲で多くの建物を失っています。山門には白ペンキも残り、当時に思いを馳せることができます。

旧フランス公使館(甚行寺)

開港当時、本堂は土蔵造でしたが、改造を加えてフランス公使館に充てられました。

旧フランス公使館(甚行寺)

旧イギリス士官宿舎(普門寺)

旧イギリス士官宿舎(普門寺)

江戸後期には、本堂・客殿・不動堂などの建物があり、開港当時はイギリス士官の宿舎に充てられました。

旧ヘボン博士施療所(宗興寺)

開港当時、アメリカ人宣教師で医者であったヘボン博士がここに施療所を開きました。

ヘボン博士の碑

ヘボン博士は、「ヘボン式ローマ字」でよく知られ、日本で最初の和英辞典を完成し、聖書の翻訳も行いました。のちに明治学院を創設するなど教育にも尽力した人です。

旧イギリス領事館跡(浄瀧寺)

開港当時、イギリス領事館に充てられました。

旧イギリス領事館(浄瀧寺)

旧フランス領事館(慶運寺)

開港当時は、フランス領事館として使われました。

旧フランス領事館(慶運寺)

慶運寺は、浦島寺とも呼ばれています。そうです!あの浦島太郎の伝説が伝わっているです。浦島太郎が竜宮城より持ち帰ったという観音像など浦島太郎にちなむ遺品が伝わっています。亀のモニュメントもとてもかわいらしいです。

旧ヘボン博士宿舎(成仏寺)

開港当初は、アメリカ人宣教師の宿舎に使われ、ヘボン博士は本堂に住んでいました。こちらから宗興寺の施療所まで通っていたそうです。

旧ヘボン博士宿舎(成仏寺)

数年後には横浜が神奈川を凌ぐ港町として発展を遂げることになり、領事館も移っていくことになります。160年ほど前のわずか数年間ではありますが、そのとき日本における海外に開かれた窓となったのがこの場所でした。日を改めて、ここから近い勝海舟が設計の「神奈川台場」をご紹介したいと思います。

周辺案内図