【歴食】江戸の味 佃煮の老舗「天安(てんやす)本店」

投稿者: | 2018年6月18日

この記事を書いている今日は父の日。歴史と食べることが大好きなわたしは、父の日母の日には、この時とばかり「歴食」を探してお取り寄せし、(反対に)父や母から少しお裾分けをいただいています。こうすると父や母に喜んでもらえて、かつ自分の歴食欲も満たすことができとても充実した日になります。少しずる賢い感じですが、一緒に伝統ある美味しいものを食べると話も弾みますし、みんな幸せになれるのです。今回は江戸時代から続く佃煮の老舗天安」さんの佃煮を初めてお取り寄せしました。(2018年6月17日更新)

佃島の佃煮

お取り寄せするにあたって、少しだけ佃煮のことを調べてみると初めて知ることがたくさんありました。ますは佃島のことです。徳川家康が江戸幕府を開いたときに、摂津国佃村の漁民33名を江戸に呼び寄せ、現在の佃島に居住地と漁業権を与えました。故郷の名前をそのままに「佃島」が誕生したのです。

「天安」包装より

でもどうして家康は佃村の漁民を呼び寄せたのでしょう?これには諸説あるようなのです。ひとつは、天正年中に家康が上洛し住吉神社に参詣の折、川に渡し船がなく難儀していたところ佃村の漁民が船で渡してくれたこと、そしてそれをきっかけとして、伏見での家康の様々な御用を聞くようになり、大坂の陣でも貢献したことからというものです。

そして、もう一説は、本能寺の変の折に堺にいた家康一行が神崎川で船がなく困っている際に、漁船を集めて献身的な働きをしたのを家康が忘れることなく、江戸開府とともに呼び寄せたというものです。

わざわざ佃村の漁民を呼び寄せただけの理由は必ずあるものと思います。現実的には前者のほうなのかもしれませんが、神君伊賀越えに貢献した人に家康が様々な特権を与えている例はほか(角屋七郎次郎の例)にもあるようなので、後者の可能性も高いのかもしれません。

漁業権を与えられて江戸城へも魚を納めていた佃島の漁民が自らの保存食として作り始めたの佃煮の原型とされる「塩煮」でした。始めはまだ醤油がそれほど一般的でないこともあり、塩で煮ていたものが、やがて醤油の普及により現在の佃煮へと変わっていったようです(佃煮の発祥にはその他諸説あります)。

「天安本店」の佃煮

今回、やはり佃煮であるので「佃島」にあるお店からお取り寄せしたいと思い、まずは、アプリ「大江戸今昔めぐり」で江戸末期の切絵図で佃島の様子を確認してみることにしました。

江戸末期(1860頃)の佃島

すると、佃島に「天安」と「佃源」2件のお店がありました。それぞれ、現代まで江戸の味を伝えています。お取り寄せにあたり調べてみると「天安」がWebでの注文ができることがわかり、今回は「天安」さんからお取り寄せすることにしました。

天安本店(酒井不二雄画 天安リーフレットより)

天安は、創業は「天保八年」(1837)。初代が安吉さんという方で、天保の「」と安吉の「」をとり商号としたそうです。天保八年というと大塩平八郎の乱があった年で、今から約180年前になります。180年前創業の江戸の味を楽しめるというのはとても贅沢な時間です。

天安六品詰合せ

今回お取り寄せしたのは、六品詰合せ(あみ・昆布・しらす・貝ひも・えび・江戸風味)です。気になるお味は、甘辛くしっかりとした風味で、ほんの少しでもごはんがたくさん進みます。今風のあっさりとしたものではなく、素材の味も含めて「しっかり(濃厚)」としているというのがわたしの感想です。

天安本店Webサイトこちら

歴食には、長い間多くの人々に愛されてきた「理由」があります。その「理由」を自分の舌で知ることができ、江戸時代の人々が食べたのと同じ味を楽しむことができるのはとても幸せです。今回のお取り寄せもとても満足しました。また新たな味とその歴史を探してみたいと思います。

「天安」案内図