【日本史】2019年 戦国時代 安土桃山時代の新発見ダイジェスト

投稿者: | 2019年2月2日

日本史は、日々の研究や発掘の成果により更新されています。それでも、いつどんな発見があったのかは、あまりに多くの発見があるために忘れてしまいがちです。ここでは、2019年の戦国時代安土桃山時代の新発見を月ごとに記録してまいります。今年も驚くような新発見に出会えますように…。(2019年12月28日最終更新)

1月

1月は、秀吉に関係する発見が多くありました。障子堀といえば、小田原北条氏の築城の代名詞とも考えられていましたが、上方でも同時代に障子堀が用いられていたことが分かったのが興味深いですね。

成政肥後拝領早々に内定 秀吉の九州平定10日後、書状に記述 2019年1月4日 北日本新聞

越中ゆかりの戦国武将、佐々成政が豊臣秀吉から肥後国(現熊本県)の支配を認められたことを示す書状の写しが東京大史料編纂(へんさん)所で見つかった。日付は秀吉の九州平定=(1)=からわずか10日後。調査した富山市郷土博物館の萩原大輔学芸員は「秀吉は、朝鮮出兵の重要な軍事拠点になる肥後を、かなり早い段階で成政に割り当てることを決めていた可能性が高く、信頼の厚さがうかがえる」としている。

出典: webun.jp

村井貞勝菩提寺の堀跡出土 秀吉「京都改造」で寺集積、変遷示す 2019年1月16日 京都新聞

京都市下京区寺町通四条下ルの浄教寺の発掘調査で、本能寺の変で死去した戦国武将、村井貞勝の菩提(ぼだい)寺に築かれたとみられる堀跡が見つかった。調査した民間調査会社は、豊臣秀吉が京都改造で寺町通を整備する際に堀を埋めたとみており、洛中の端に当たる通りに寺を集積させた変遷を示すという。

出典: www.kyoto-np.co.jp

秀吉の大坂城跡に地震痕 落ちた金箔瓦、復旧に再利用か  2019年1月19日 朝日新聞

豊臣秀吉が築いた大坂城跡(大阪市中央区)で、1596年の慶長伏見地震とみられる痕跡がみつかっていたことがわかった。調査した大阪文化財研究所(大阪市)によれば、激しい揺れで地層は波打つように変形し、建物から落ちたとみられる金箔(きんぱく)瓦は、復旧工事の際に地面の上に敷き詰められていた。大坂城跡で地震痕跡がみつかるのは珍しく、巨大地震の被害や復旧の様子を知る貴重な資料として注目されそうだ。

出典: www.asahi.com

高槻城跡から高山右近の堀跡 西日本で最古級「障子堀」発見  2019年1月30日 毎日新聞

大阪府高槻市の高槻城跡で、キリシタン大名として知られる高山右近が城主を務めた戦国時代末期に掘られたとみられる堀跡が見つかり、市教委が30日、発表した。底に侵入者の動きを封じる仕掛けを施した「障子堀(しょうじぼり)」で、西日本では最古級の例。「築城の名手」と呼ばれた右近の姿に迫る発見という。

出典: mainichi.jp

2月

2月の新発見はなかったようです。

3月

豊臣大坂城三ノ丸に大型建物 武将・佐竹義宣の屋敷跡か 2019年3月20日 朝日新聞

豊臣秀吉(1537~98)が築いた大坂城の三ノ丸跡(大阪市中央区)で、大名屋敷とみられる大型建物跡がみつかった。大阪府教育委員会と府文化財センターが20日発表した。出土した家紋が入った瓦などから、秀吉配下の武将だった佐竹義宣(よしのぶ、1570~1633)の屋敷地との見方が強まっている。

出典: www.asahi.com

秀吉の最古級の検地帳発見 信長配下時代の貴重な史料 2019年3月26日 朝日新聞

羽柴(豊臣)秀吉(1537~98)が、織田信長の家臣として播磨(はりま、兵庫県南西部)を治めていたころにつくらせた検地帳の写しがみつかった。県立歴史博物館(姫路市)が26日発表した。信長政権下の検地帳が確認されるのは珍しく、これまでにみつかった秀吉の検地帳の中でも2番目の古さ。専門家は、政権奪取後に秀吉が始めた太閤(たいこう)検地の成立過程を知るうえで貴重な史料として注目する。

出典: www.asahi.com

加藤清正に朝鮮出兵を…秀吉「朱印状」見つかる 愛知の旧家 2019年3月27日 毎日新聞

戦国武将の豊臣秀吉が朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の際、重臣だった加藤清正(1562~1611)に出兵を命じた「朱印状」が愛知県刈谷市の寺で見つかり27日、報道陣に公開された。市歴史博物館によると、朱印状は縦21・5センチ、横125・5センチ。江戸時代に旧刈谷藩士だった旧家の菩提(ぼだい)寺で発見され、昨秋に同館に寄贈された古文書数百点の一つで軸装されていた。

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尾鷲 戦国時代の「常滑甕」片を発見 曽根城跡周辺で 三重  2019年3月29日 伊勢新聞

【尾鷲】三重県の尾鷲市教育委員会は、同市曽根町の曽根城跡周辺から、戦国時代の遺物とされる常滑甕(とこなめがめ)片が見つかったと発表した。曽根城跡周辺から採集された遺物は、平成29年6月に発見された天目茶碗片に続いて2例目だが、築城時期と重なる遺物が見つかるのは初めて

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4月

秀吉が最晩年を過ごした伏見城の石積み階段が出土 有力大名屋敷の裏口階段か 2019年4月6日 産経新聞

安土桃山期に豊臣秀吉と徳川家康が築いた伏見城の跡(京都市伏見区)から大規模な石積みの階段が出土し、京都市が緊急の調査を実施していたことが6日分かった。石に焼けた痕跡があることから、秀吉が最晩年を過ごし、関ケ原の戦いの前哨戦で焼失した木幡(こはた)伏見城の遺構とみられる。わずか2年あまりで焼失した“幻の城”。豊臣期の遺構はこれまで石垣の一部が見つかっているだけで、大規模な遺構が良好な保存状態で見つかったのは今回が初めて。

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金華山山頂で新たな石垣 道三期のものか、岐阜城 2019年4月25日 共同通信

岐阜市は24日、岐阜城がある同市・金華山(329メートル)の山頂部で、新たな石垣や巨石列を見つけたと発表した。裏門周辺に当たり、石垣の一部は戦国武将の斎藤道三が築城した当時のものとみられる。市は「山頂部で道三期の石垣が発見されるのは初めてで、巨石列を含め裏門の構造解明につながる」としている。

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5月

豊臣政権期の武家屋敷遺構 奈良・郡山城跡で見つかる 2019年5月9日 産経新聞

奈良県大和郡山市の郡山城跡で、豊臣政権期の武家屋敷跡とみられる建物遺構が初めて見つかり、市が8日発表した。郡山城三の丸に武家屋敷があったことは江戸時代の絵図から明らかになっているが、今回の調査で建物遺構を覆う盛り土層から16世紀末頃の遺物が出土し、調査担当者は「最も古い遺構は豊臣政権期にさかのぼる」としている。

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愛媛・大洲城跡の発掘調査 前身「地蔵ケ嶽城」の遺構が初出土 2019年5月22日 毎日新聞

愛媛県大洲市教委は22日、大洲城跡(同市大洲)の発掘調査で、大洲城の前身とされる中世の地蔵ケ嶽(じぞうがたけ)城の曲輪(くるわ)を囲んだ「石積み」とみられる遺構が見つかったと発表した。大洲城跡で中世の城郭に関する明確な遺構が発見されるのは初めて。江戸期の絵図には描かれていない「石組みの穴蔵」も見つかり、岡崎壮一学芸員は「城の変遷過程が分かる重要な発見」としている。

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信長の肖像画、竹の紙に描かれていた 文化庁調査で判明 6月に豊田で特別公開  2019年5月24日 毎日新聞

織田信長の絵画として最も有名な国の重要文化財「紙本著色(しほんちゃくしょく)織田信長像」は、中国伝来の竹の紙に描かれていたことが修復を担当した文化庁の調査の結果、判明した。桃山時代の絵と紙の関係を知る手がかりとなる。所蔵する長興寺のある愛知県豊田市の市美術館は6月1日から特別公開する。

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「武田信玄の朱印状」入手 長野県立歴史館 2019年5月25日 毎日新聞

長野県立歴史館(長野県千曲市)は24日、武田信玄の朱印状を入手したと発表した。諏訪大社にあった格式の高い寺院・如法院(廃寺)に宛てたもので、笹本正治館長は「戦国時代の諏訪大社の実態を読み取るのに重要な史料」としている。7月6日~8月18日に開催する「所蔵名品展(仮称)」で公開予定。

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菅茶山愛蔵の盃は謙信にゆかりか 福山・廉塾で“幻の品”発見 2019年5月25日 山陽新聞

戦国武将上杉謙信ゆかりの品とされ、福山市神辺町出身の儒学者・菅茶山(1748~1827年)が愛蔵した盃(さかずき)が、茶山の開いた廉塾(同市神辺町川北)で見つかった。茶山の日記や漢詩に度々登場しながら所在不明だった“幻の品”。発見した広島県立歴史博物館(同市西町)は「茶山の歴史的興味が分かる貴重な史料」とする。同博物館で開催中の企画展で公開している。

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6月

豊臣期の大阪城、石垣などの基礎構造を地中で確認 大阪市大調査 2019年6月4日 毎日新聞

現在の大阪城(大阪市)の地下に埋まる豊臣期の大坂城について、地盤調査の手法を用いて石垣などの基礎構造を確認したと、大阪市立大の研究チームが4日、発表した。史料に示された構造物を実際に地中で確認したのは初めてという。チームは、豊臣期の城郭構造を解明する手がかりになるとしている。

出典: mainichi.jp

大阪・飯盛城跡に450年以上前の石垣 先駆けとされる信長より3年早く  2019年6月25日 毎日新聞

織田信長に先駆けて畿内を制した戦国大名、三好長慶(ながよし)(1522~64)が居城とした飯盛(いいもり)城(大阪府大東市、四條畷市)の跡で、1560年ごろに建設された50カ所の石垣が見つかり、大東市教委が25日発表した。市教委は「城全体に石垣を導入しようとしていたことが確認できた」としている。

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7月

戦国時代の土師器発見 伊賀・上野城跡内 成瀬平馬家長屋門の門扉周辺 三重 2019年7月3日 伊勢新聞

伊賀】三重県の岡本栄伊賀市長は2日の定例記者会見で、旧上野城内に位置する成瀬平馬家長屋門(伊賀市上野丸之内)の門扉周辺から戦国時代の土師(はじ)器が見つかったと発表した。築城された時代よりも古い時代の土器が出土したことから、城が建造される前にも人が生活していたとみられる。岡本市長は「上野の街の成立にヒントを与える発見」と語った。

出典: www.isenp.co.jp

白川郷で一向一揆か 門徒非難の書状を入手、白川村のNPO 2019年7月11日 岐阜新聞

白川郷(岐阜県大野郡白川村)で戦国時代に北陸の真宗門徒を巻き込んだ一向一揆があった可能性が、本願寺中興の祖である蓮如の書状から分かった。発生年や詳細は研究途中にあるが、「一向一揆を巡る歴史の中で、白川郷も深く関わっていることが示されている」として、白川村のNPO白川郷耕雲塾は10日、書状を京都市の美術商から750万円で購入した。蓮如が一向一揆について記した書状は珍しく、研究者も「第一級の史料」と認める。

出典: www.gifu-np.co.jp

朝鮮出兵、虎狩りゆかりの古文書 秀吉から褒美示唆 霧島市・安田家 2019年7月11日 南日本新聞

豊臣秀吉による朝鮮出兵の際に行われた虎狩りについて書かれた古文書が、虎を討ち取ったとされる国分清水(きよみず)=霧島市=の武士、安田次郎兵衛の子孫宅で見つかった。志學館大学の原口泉教授は「虎狩りゆかりの家に伝わった価値ある史料」と語る。

出典: 373news.com

駿府城跡近くで戦国末期の遺構発見 重臣クラスの武家屋敷か 静岡 2019年7月12日 産経新聞

徳川家康が晩年を過ごした駿府城(静岡市葵区)の跡地に隣接する旧青葉小跡地で戦国時代末期の武家屋敷跡とみられる石垣と道路が出土した。静岡市の田辺信宏市長が12日の定例記者会見で発表した。市によると、戦国期の道路と武家屋敷跡が残っている遺構は、特別史跡一乗谷朝倉氏遺跡(福井市)や二条城(京都市)など数件しか確認されておらず、戦国時代の城下町の様子をうかがわせる貴重な遺構だという。

出典: www.sankei.com

8月

豊臣期の石垣の一部発見 滋賀・長浜城「城の輪郭想定で貴重」 2019年8月14日 京都新聞

滋賀県長浜市は14日、長浜城跡(同市公園町)で、豊臣期(1574~1590年)の石垣の一部を見つけた、と発表した。同城は羽柴(豊臣)秀吉が築いたことで知られるが、この時代の遺構はこれまではっきりと確認されていなかった。調査した市歴史遺産課は「当時の城の輪郭を想定する上で貴重」としている。

出典: www.kyoto-np.co.jp

豊臣秀次の死巡り新史料 秀吉、3カ月前「息子を国主に」 2019年8月29日 共同通信

豊臣秀吉から関白職を継承しながら、秀吉の不興を買い失脚、切腹したとされる養子の秀次について、死の約3カ月前の時点では、秀吉が秀次の息子を要衝である大和(奈良)の「国主」に取り立てる意向だったことを示す新史料が、29日までに見つかった。

出典: this.kiji.is

9月

★「秀吉から拝領」伝承の十字形洋剣、400年前に国内製造が判明 2019年9月2日 京都新聞

滋賀県甲賀市水口町の藤栄神社に伝わる十字形洋剣「水口レイピア」が、約400年前にヨーロッパ製のレイピア(細形洋剣)をモデルに国内で制作されていたことが分かった。水口歴史民俗資料館(同市)などが共同研究成果を3日の国際博物館会議(ICOM)京都大会で発表する。

出典: www.kyoto-np.co.jp

等伯の仏涅槃図、知恩院で発見 調査会確認、35歳頃の作品か  2019年9月2日 北國新聞

七尾生まれの画聖長谷川等伯と一門のルーツを探る調査会「等伯と一門ルーツ探訪」の第2回調査は8月31日、京都市の浄土宗総本山知恩院で行われ、同寺所蔵の「絹本著色仏涅槃(けんぽんちゃくしょくぶつねはん)図(ず)」が等伯の真筆であることが確認された。

出典: www.hokkoku.co.jp

武器や道具が多数発掘 上富田の龍松山城跡  2019年9月7日 紀伊民報

中世に和歌山県紀南地方で勢力を伸ばした領主、山本氏の上富田町市ノ瀬にある山城の「龍松山城跡」で、武器や武具、生活道具などの遺物が出土した。調査に当たった専門家は、数や種類の多さに驚き「生活の場だったことや豊かな暮らしなど、さまざまなことが分かる」と価値を語った。町教育委員会は15日午後1時半から、現地で説明会を開く。

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秀吉と親族 関係示す書状…おい・秀次切腹前、「息子を大和国主に」  2019年9月4日 読売新聞

豊臣秀吉(1537~98年)に関係する書状が新たに2通、東京大史料編纂(へんさん)所( 東京都文京区)で確認された。おいの秀次や弟の秀長に関わる書状で、どちらも政権内での秀吉の親族との距離感を知る手がかりになりそうだ。

戦国期、九華の木板発見 足利学校、最盛期の史料 2019年9月12日 産経新聞

足利学校(栃木県足利市)の校長に当たる第7世庠主(しょうしゅ)、九華(きゅうか)が敷地内の稲荷(いなり)社の再建経緯などを記した木板が解体修理中の大成殿から新たに見つかり、12日、報道陣に公開された。戦国時代、学徒3500人以上を抱え「板東の大学」と評された最盛期を知る貴重な史料といえそうだ。

出典: www.sankei.com

宗像大社大宮司家「謎の人物」へ秀吉が書状 熊本の子孫宅で発見 2019年9月18日 西日本新聞

世界文化遺産の宗像大社(福岡県宗像市)大宮司家の中で「謎の人物」とされてきた宗像才鶴宛ての豊臣秀吉の文書が発見された。熊本県多良木町が18日、寄贈された史料に含まれていたと発表した。才鶴は、最後の大宮司で戦国武将の宗像氏貞(1545~86)の後室(後妻)とされるが、史料に乏しく「不明とせざるをえない」(宗像市史)人物。初めて才鶴宛ての文書が見つかり、専門家は「秀吉が才鶴を氏貞の後継者で直接の家臣と見ていたことが分かる貴重な史料」と評価する。

出典: www.nishinippon.co.jp

青森・三戸城本丸跡から石垣の一部 江戸期の測量図基に発掘 2019年9月19日 河北新報

青森県三戸町教委は18日、三戸南部氏の戦国時代の拠点跡「三戸城跡」の本年度調査で、本丸跡から石垣の一部が見つかったと発表した。江戸時代末に描かれた測量図を基に発掘した。本丸の構造を知る手掛かりとなり、町教委は「石が極めて大きく、大名の権威を表した堂々とした石垣だと分かった」と説明する。

出典: www.kahoku.co.jp

幅30メートルの堀跡確認 秀吉築いた京都・初代伏見城 2019年9月20日 朝日新聞

豊臣秀吉が築いた初代の伏見城(指月(しげつ)城)跡(京都市伏見区)で、16世紀末の幅30メートルを超えるとみられる堀跡がみつかった。市文化財保護課が20日発表した。17世紀初めに徳川家康が創建した二条城(京都市中京区)の内堀(幅25メートル)より広く、秀吉の居城にふさわしい大規模な堀と石垣を備えた城だったことが考古学的に初めて確認された。

出典: www.asahi.com

テレ東「池の水」で歴史的発見!長野・上田城のお堀から450年前の瓦 天守閣があった証拠に?  2019年9月21日 スポニチ

22日に放送されるテレビ東京の月1レギュラー企画「緊急SOS!池の水ぜんぶ抜く大作戦」(後7・54)で、長野県上田城のお堀から歴史的発見となる450年前の瓦が見つかった。上田城にはなかったと考えられてきた天守閣の存在を裏付け得る瓦で、同局の伊藤隆行プロデューサーは「これは歴史的大発見です!450年前!幻のお宝が出土しました!」と興奮気味にコメントしている。

出典: www.sponichi.co.jp

滋賀・佐和山城跡に石田三成の惣構普請跡 橋を壊し土地造成 2019年9月26日 毎日新聞

滋賀県文化財保護協会は26日、安土桃山時代の武将、石田三成が居城とした佐和山城跡(同県彦根市)の城下町の一画から、上部が削られた「橋台」(橋の台座)が見つかったと発表した。三成が城下町を大幅に改造した「佐和山惣構御普請(そうがまえおんぶしん)」の際、橋を取り壊して土地を造成した痕跡とみられる。当時の豊臣政権での都市計画を考えるうえで、貴重な発見という。

出典: mainichi.jp

10月

家康書状、原本を初確認 静岡市購入、展示へ 2019年10月3日 静岡新聞

静岡市は2日、関ケ原の戦いの直前に徳川家康が豊臣秀吉の家臣だった中村家に送った書状が見つかり、原本と確認されたため、購入したと発表した。これまで、書状の写しの存在は知られていたが、原本が見つかったのは初めて。市は8日から11月4日まで、同市葵区の駿府城公園坤櫓(ひつじさるやぐら)で書状を展示する。

出典: www.at-s.com

石田三成居城、佐和山城には城から城下町へと続く生活道路があった? 橋台遺構発見 2019年10月4日 京都新聞

滋賀県文化財保護協会はこのほど、戦国武将の石田三成の居城だった佐和山城の城下町跡(彦根市佐和山町)で、石積みの橋台遺構が見つかったと発表した。橋の存在は古図になく、協会は「橋の方向から、城に続く生活道路があったことが推測される。城下町の具体的な様相に迫る成果」としている。

出典: www.kyoto-np.co.jp

本丸に大規模盛り土・三戸町三戸城跡・築城技術の高さ裏付け 2019年10月6日 デーリー東北新聞社

三戸町教委は5日、戦国時代に北奥羽地方で最大の勢力を誇った三戸南部氏が拠点とした、同町の城山公園にある三戸城跡で、本丸部分に大規模な盛り土の跡が見つかったことを明らかにした。16世紀後半~17世紀前半の造成工事とみられ、長さは約50メートル、高さは最高で約2・8メートルに及ぶ。三戸南部氏が高い土木技術を誇っていたことを物語る。

出典: www.daily-tohoku.news

金箔瓦、新たに33点出土 駿府城公園、11日から公開 静岡 2019年10月8日 静岡新聞

静岡市は7日、同市葵区の駿府城公園内で2018年に発見された「豊臣方天守台」の石垣近くから、新たに33点の金箔(きんぱく)瓦が出土したと発表した。11日から同公園の発掘情報館「きゃっしる」で公開する。金箔瓦は、豊臣秀吉が家臣に築かせたと考えられる城の石垣近くで見つかった。鯱(しゃち)のうろこや牙、軒丸瓦などがあった。

出典: www.at-s.com

秀吉「備前国で乱暴するな」 宇喜多氏配慮の掟書 倉敷の寺入手 2019年10月9日 山陽新聞

羽柴(豊臣)秀吉が1582(天正10)年の中国攻めに際し、自軍の主力で異父弟とされる秀長に送った掟書(おきてがき)が、岡山県内で新たに見つかった。味方となった備前の戦国大名・宇喜多氏の領内を進むに当たり、乱暴狼藉(ろうぜき)をしないなど兵に対する注意事項を記載。研究者は「軍団長となった秀吉の戦に臨む基本姿勢や、宇喜多氏への配慮が分かる貴重な一次史料」としている。

出典: www.sanyonews.jp

仙台城の石垣、地中から発見 築城当初の登城路の手がかりか 2019年10月14日 毎日新聞

仙台城跡(仙台市青葉区)で発掘調査をしている市教育委員会は、本丸跡の北東にある巽(たつみ)門跡付近で埋没していた石垣を新たに発見し、報道陣に公開した。石垣はL字形に屈曲した形をしており、市教委は築城当初の本丸に続く登城路を推測することに役立つとしている。

出典: mainichi.jp

「引間城」の堀跡を発見 家康が拡張、浜松城に 2019年10月16日 静岡新聞

浜松市は15日、1570年に築かれた浜松城の前身とされる戦国時代の城郭「引間(ひくま)城」のものとみられる堀跡が初めて見つかったと発表した。徳川家康は引間城が手狭になって区域を拡張し、本丸の位置も移して浜松城を築いた。市は堀跡発見が「浜松城の一番古い時代の姿を知る手掛かりになる」と重要視している。

出典: www.at-s.com

今年は「ウサギ」出土 目貫金具珍しく/聖寿寺館跡 2019年10月18日 東奥日報

昨年の「犬」に続き、今年は「ウサギ」が-。北東北最大の戦国大名・三戸南部氏の城館跡だった国史跡「聖寿寺(しょうじゅじ)館跡(たてあと)」の発掘調査で、ウサギを模した銅製金具が発見され、関係者を驚かせている。

出典: www.toonippo.co.jp

青森市奥内で新たな中世の山城跡を確認 2019年10月18日 東奥日報

中世の山城跡が集中している青森市奥内の内真部(うちまんぺ)城館群で唯一、遺構の空白地帯とされる瀬戸子(せとし)八幡宮裏の山間部に複数の曲輪(くるわ)(陣地)を持つ山城跡があることを市民グループが突き止め、17日、斉藤利男・弘前大学名誉教授(日本中世史)が確認した。同城館群は、のちに十三湊(とさみなと)(十三湖)に進出し日本海交易で栄えた豪族・安藤氏の最初の拠点であることが最近の研究で明らかになっている。市民グループは別の山城跡でも新たな遺構を確認するなど、安藤氏が繁栄の足掛かりを築いた同城館群の全体像の解明を進めている。

出典: www.toonippo.co.jp

細川幽斎、連歌評価の跡を発見 京都の旧家に助言書き込んだ巻物 2019年10月25日 共同通信

安土桃山時代の武将で歌人として知られる細川幽斎が、依頼を受けて連歌100句を評価し、助言を書き込んだ巻物が見つかり、京都府立山城郷土資料館が25日発表した。巻物は、石清水八幡宮に属した神人で、京都府八幡市にあった橋本家に伝わっていたもの。橋本家の当主は天正14(1586)年、連歌を独吟し、幽斎と連歌界の第一人者とされる里村紹巴にそれぞれ採点を頼んだという。

出典: this.kiji.is

11月

信長、秀吉らの書状確認 愛知、江戸時代の文庫所蔵 2019年11月6日 共同通信

豊橋市図書館(愛知県)は6日、江戸時代の私設図書館「羽田八幡宮文庫」に所蔵されている史料の中に、織田信長が家臣の筒井順慶に家来の動向を探るよう命じた朱印状や、朝鮮出兵の目的を記した豊臣秀吉の書状など5点を確認したと明らかにし、報道陣に公開した。

出典: this.kiji.is

秀吉の気配り、書状見つかる…直江兼続が「人たらし」ぶり生々しく  2019年11月9日 読売新聞

豊臣秀吉(1537~98年)が、居城とした伏見城(現在の京都市伏見区)築城の工事現場に自ら赴き、現場の労働者一人一人に声をかけた様子を記した書状が発見された。専門家は「秀吉の気さくな面と人使いのうまさを具体的に伝える史料だ」と注目している。

出典: www.yomiuri.co.jp

一宮城跡(徳島市)「曲輪」に建物跡 眺望楽しむ集会所か 2019年11月9日 徳島新聞

徳島市教委は7日、一宮町の県史跡「一宮城跡」にある「曲輪」(とりで)の一つ「明神丸」で、建物の土台になる礎石や礎石痕が見つかったと発表した。16世紀に阿波に入国した蜂須賀氏が山頂からの眺望を楽しむ集会所として整備した可能性があるという。近世初頭の山城でこうした建物跡が確認されたのは全国で初めて。

出典: www.topics.or.jp

東北最古級の升形虎口見つかる 中央と密接な関係? 青森 2019年11月12日 毎日新聞

青森県南部町教育委員会は、北東北最大の戦国大名、三戸南部氏の中心的居城だった国史跡「聖寿寺館跡」(同町小向)で、15世紀後半~16世紀初頭の東北最古級の升形虎口(ますがたこぐち)(出入り口)が見つかったと発表した。当時の最新築城術を全国的にも早い段階で導入しており、三戸南部氏の中央との交流や格式の高さを示す重要な発見という。【塚本弘毅】

出典: mainichi.jp

宇喜多久家の書状 新たに3通 活躍時期や系譜の再考迫る 2019年11月13日 山陽新聞

戦国大名宇喜多氏の直系祖先とされる備前の武将、宇喜多久家の書状3通が12日までに、京都・賀茂別雷(かもわけいかづち)神社の「賀茂別雷神社文書」(国重要文化財)で新たに確認された。いずれも社領の竹原荘(現岡山市東区竹原)の運営に関する16世紀前半の書類で、従来15世紀末頃とされていた久家の活躍時期や一族の系譜について再考を迫る。調査した東京大史料編纂(さん)所共同研究員の辰田芳雄さん(67)=赤磐市=は「史料が少なく、謎に包まれた久家の動向の一端がうかがえる貴重な発見」としている。

出典: www.sanyonews.jp

12月

沼田城跡で本丸の瓦と柱穴を発見 市教委「真田氏の時代のもの」 2019年12月3日 上毛新聞

戦国武将の真田氏が居城とした群馬県の沼田城跡(沼田市西倉内町)の発掘調査で、市教委は2日、本丸内の建物に使われた瓦が多数見つかったと発表した。本丸には5層の天守閣をはじめ、生活スペースの御殿、やぐらなどがあったとされ、瓦はいずれかの建物に使われたとみられる。

出典: www.jomo-news.co.jp

家康監視に足利氏を利用か 小田原落城後に出した秀吉の書状発見 2019年12月7日 産経新聞

安土桃山時代末期の天正18(1590)年、豊臣秀吉が関東の有力戦国大名・北条氏を滅ぼしたいわゆる「小田原征伐」の直後、秀吉が室町幕府将軍家の分家に当たる「関東足利氏」に送った書状が見つかった。

出典: www.sankei.com

織田信長の書状見つかる 長篠の戦い直前 一向一揆対処で… 2019年12月19日 NHK

織田信長が武田勝頼との長篠の戦いの直前に、一向一揆に対処するため今の福井県で政治的な工作を進めていたことを示す書状が新たに見つかり、調査に当たった専門家は多方面に並行して指示を出していた信長のきめ細かな政治の様子などが分かると指摘しています。

出典: www3.nhk.or.jp

新発見は随時更新してまいります。

2019年(平成31年)日本史新発見のまとめ