鳥羽天皇 皇女のガラス製水滴(書道道具)か?京都、国内2例目(2017年10月19日)

投稿者: | 2017年10月31日

平安末期のガラス製水滴発見

JR京都駅近くの発掘調査で国内2例目となる平安時代末期ガラス製水滴の一部が見つかりました。

JR京都駅南側の京都市南区東九条上殿田町の発掘調査で、国内2例目となる平安時代末期のガラス製水滴の一部が見つかったと元興寺文化財研究所(奈良市)が19日、発表した。周囲では多様な産地の土器や、仏堂とみられる建物跡も確認された。調査地北側には当時、鳥羽天皇の皇女八条院(暲子(しょうし)内親王)の御所があったとみられ、八条院や周辺貴族に関連する寺院や物流拠点があった可能性があるという。

出典: www.kyoto-np.co.jp

水滴とは?

ここで「ほう水滴か~」とすぐにわかる方は書道の嗜みのなる方に限られるかもしれません。私も含めて多くの方は、「水滴?滴り落ちる水滴?なぜ水がガラス製?」と思われたかも・・。

水滴は、三省堂大辞林によると、①水のしずく。水のしたたり。②硯(すずり)にさす水を入れておく容器。水差し。水注。という意味があるそうです。

私も幼い頃に書道をしていましたが、初級者のためスポイトフル活用であった記憶があります・・。

水滴(現代)

鳥羽天皇皇女八条院(暲子内親王)

今回発掘調査がされた場所は、鳥羽天皇の皇女八条院(暲子内親王)の御所があった場所とみられています。鳥羽天皇は院政期の天皇で、自らも鳥羽上皇として院政を布いています。その皇女である八条院は平安末期から鎌倉初期にかけて、八条院領と呼ばれた中世皇室領の中枢をなす一大荘園群の経済を背景に、歴史の舞台で影響力を持っていた女性です。平清盛も彼女のことは無視できなかったそうです。また、猶子である以仁王の挙兵にも母として側面支援していたともいわれています。

暲子内親王(しょうし/あきこないしんのう、保延3年4月8日(1137年4月29日) – 建暦元年6月26日(1211年8月6日))は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての皇族。初めて后位を経ずに女院となり、八条院(はちじょういん)と号した

出典: ja.wikipedia.org

治承4年(1180年)、猶子である以仁王が反平氏の兵を挙げた(以仁王の挙兵)。この際、八条院が密かに支援しているのではと言われ、実際、八条院は以仁王の子女(生母は八条院女房)を自身の御所で匿っていたが、清盛も社会的な反響を恐れて結局は以仁王の男子を出家させることを条件に女院の行為を不問にせざるを得なかった。だが、全国各地にあった八条院領には「以仁王の令旨」が回されて現地の武士団による反平氏蜂起が促されていった。以仁王が発した平家追討の令旨を各地に伝達したとされる源行家は八条院の蔵人であり、また別の八条院荘官も源頼朝と連絡を取っていた。また、池大納言平頼盛(清盛の異母弟だが、仲が良くなく、独立行動が目立つ)も八条院乳母子を妻として女院の官人となっていた。八条院自身の立場はさておき、彼女の周辺には、反平家の人々が集っていた。なお、安徳天皇の西走後にも彼女を中継ぎの女帝として擁立する動きがあったと言われている

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調査地北側の京都駅周辺は平安末期、八条院の御所があったとされる。同研究所の佐藤亜聖主任研究員は「八条院や周辺の貴族に関連する寺院で、献上品の一時保管場所か地方出身者の宿所などが併設されていたと考えられる」と話す。

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京都駅付近は平安後期、鳥羽天皇の皇女・八条院暲子(しょうし)内親王をはじめとする貴族の屋敷が立ち並ぶ高級住宅地だった。この付近は、高級品だった水滴など、各地からの貢ぎ物を貴族らの屋敷群に供給する物流拠点だった可能性があるという。

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今回発見の「水滴」

発見の「水滴」は、材料に鉛を含んだガラスで複雑な加工が難しいそうで、中国・宗で作られたとみられています。広大な荘園を背景に政治的な影響力も無視できなかった八条院が購入したもの、あるいは献上されたものと推測されます。国内2例目とのことで、大変貴重なものですね。もしも全部が完全なかたちで現在に伝わればその価値は想像できません。

奈良国立博物館の吉澤悟列品室長(考古学)によると、材料は鉛を含んだガラスで、複雑な加工が難しく、中国・宋で作られたとみられるという。同様の品は、12世紀に比叡山の経塚の副納品に1例あるのみ。吉澤室長は「当時は大変希少な輸入品で、かなり高い地位の人物しか使えなかった」と推測する。

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それにしても、公開された写真のとおり、発見されたのは爪の先ほどのわずかな注ぎ口部分です。ここから水滴の一部と判断できるのは研究を重ねている専門家だからですね。

出土したガラス製水滴(平安時代)の一部

今回の発見で、①「水滴」のこと。②平安時代にも使われていたこと。③八条院のこと。④その当時の水滴の価値。などいろいろなことを知ることができました。ひとつひとつの発見を自分自身の学びにしていけたらと思います。