弥生時代の「すずり」から感じるロマン(2017年11月9日)

投稿者: | 2017年11月9日

日本人がいつから文字を使っていたのか?読んでいたのか?の想像を掻き立てるものが発見されました。その品は「硯(すずり)」です。弥生人が墨をすり、筆で文字を書いていたというのはちょっと意外な感じがしますが、考えてみるとすぐお隣の中国ではその時代に既に文字が使われているのですから、海を渡った渡来人や交流のあった弥生人が文字を使っていた可能性は大いにあると考えるのは当然のことなのかもしれません。

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弥生時代のすずり完形品か

弥生のすずり初の完形品か 国学院大教授 再鑑定、学会発表へ 福岡・筑前町14年前に出土」 西日本新聞

福岡県筑前町の薬師ノ上遺跡で14年前に出土した石片が、弥生時代後期前半(1世紀前半)のすずりとみられることが、国学院大の柳田康雄客員教授(東アジア考古学)の鑑定で分かった。

出典: www.nishinippon.co.jp

筑前町の出土品を再調査していた柳田氏は、薬師ノ上遺跡出土の石片中央部にこすった痕跡があり、墨とみられる黒い付着物を確認。形状が中国・漢代に普及した長方形板状のすずりと似ており、石質も朝鮮半島の出土品に近いため、すずりと判断したという。

出典: www.nishinippon.co.jp

弥生時代の稲作(国立科学博物館展示の模型

すずりは5例目

福岡県筑前町では、2017年6月にも平成2年に発見の石片がすずりと柳田氏により鑑定されていて、おそらくこの発見があったために、15年前に発見されていた今回のすずりも再鑑定が行われたのかと思われます。

外交文書に使用?弥生時代のすずり発見 筑前町の中原遺跡 国産可能性も」産経新聞

玄界灘沿岸で大陸との交流が盛んだったことから、文字を扱う渡来人が外交を担っていたとの見方もあるが、今回、渡来人との関わりが薄かったとみられる集落でも出土したことで、柳田氏は「伊都国から文字文化が伝わり、倭人がすずりを使って文書を作り、外交もしていた可能性がある」としている。

出典: www.sankei.com

弥生時代のすずりは松江市の田和山遺跡で1個、福岡県糸島市の三雲・井原遺跡で2個出土しており、4例目

出典: www.sankei.com

この「すずり」も発見時は、砥石として扱われていたそうです。以前に発見されていたものであっても、様々な視点から、想像力を働かせてみることで、真実に近づくのかもしれません。

それにしても弥生人は、何にどんなことを書いていたのでしょうか。やはり木簡のような感じなのでしょうか。それとも木の皮?弥生人の実際に書いた文字が、土器などにあったら読んでみたいですね。もしかしたら筆で文字だけでなく、絵も書いていたのかもしれませんし・・。いずれにしても歴史ロマンを感じさせるニュースでした。