スペイン船の砲弾発見から知る「日本とスペインとの交流」(2017年11月10日)

投稿者: | 2017年11月11日

今日(2017年11月10日)も歴史ロマン溢れる発見の報道がありました。東海大学海洋学部の木村淳特任講師(水中考古学)らのグループが1609年(慶長14年)に千葉県沖で沈没した大航海時代スペインのガレオン船「サンフランシスコ号」のものと考えられる石製の砲弾を発見しました。この海域で見つかる地質・石質とは異なるもので、サンフランシスコ号発見に向けて有力な手がかりとなりそうです。


サンフランシスコ号遭難事件とスペインとの交流

スペイン船が千葉沖で沈没

スペイン無敵艦隊がイングランドに手痛い打撃を被ってから20年ほどが経っていましたが、未だ海洋覇権はスペインの手にありました。マニラから大量の財宝を載せたサンフランシスコ号(ドン・ロドリゴら)は、メキシコに向かう途中で嵐に巻き込まれ現千葉県御宿町沖で座礁沈没します。このとき、56名が死亡。317名が近くの住民に助けられました。領主である大多喜城主本多忠朝(本多忠勝の次男です)は、誠意をもってロドリゴたちに対応し、将軍徳川秀忠、大御所徳川家康への謁見に繋げました。

この様子は、御宿町「記念塔(日西墨三国交通発祥記念之碑)」を参照ください。スペインとの現代につながる交流の様子もわかります。

スペインのガレオン船

三浦按針による洋式帆船の造船

このころは朱印船貿易が盛んな時期で、家康も海外との貿易に熱心であったこともあり、ロドリゴらは幕府からも手厚いもてなしを受けました。家康は、ロドリゴらのために三浦按針(ウイリアム=アダムス)に命じて帰国のための帆船まで製作させます。三浦按針は、若い頃船大工の修行をしていたこともあり、この頃は船大工の棟梁のような地位にありました。この船(洋式帆船サン・ブエナ・ベントゥーラ)でロドリゴらは無事の帰国を果たします。

重要文化財「スペイン南蛮時計」の由来

その答礼として翌年スペイン国王フェリペ三世は、ビスカイノを日本に派遣します。ビスカイノは久能山東照宮に伝わる重要文化財「スペイン南蛮時計」を家康に献上し、日本との更なる交流に努めますが、幕府が西洋への警戒心を抱く時期と重なったため、なかなかうまくいかず、伊達政宗による慶長遣欧使節(支倉常長ら)とともに帰国することになります。

三浦按針

今回の砲弾の発見の報道

千葉県沖での発見の様子がいち早く静岡新聞で報道されたのは、やはりロドリゴやビスカイノが家康に謁見したのが、駿府城であったことと、紙面のタイトルのとおりビスカイノが献上した南蛮時計が久能山東照宮にあることからでしょう。

「家康公の時計」ゆかり 沈没スペイン帆船砲弾か 千葉沖で発見」静岡新聞

見つかった物体は直径約120ミリ、重さ約2・8キロの球状。砂岩が多い御宿周辺の地質とは異なる火山岩でできていて、人工物とみられる。同時代のスペイン船が多く沈むフィリピン周辺では同様の形状の砲弾が多数見つかっているという。

出典: www.at-s.com

フィリピン周辺で見つかっているものと比較照合でさらに確度が高まるのかと思われます。「サンフランシスコ号」には非常に多くの財宝が積まれていたと考えられています。この発見を契機に、もっともっと驚く発見が続くことに期待したいですね。

今回の発見から、400年以上が経過した現代に続くスペインと日本の交流、久能山南蛮時計の由来など知らずにいたことをたくさん学べました。研究者の皆様ありがとうございます。また新たな発見に出会えますように・・。