歴史の散歩道(代々木八幡~明治神宮)新嘗祭

投稿者: | 2017年11月23日

朝晩の厳しい寒さがつらい日々が続いています。そんな寒さも美しい紅葉の演出には欠かせません。ここ数日の寒さで紅葉が進んだであろう代々木八幡~代々木公園~明治神宮を歴史散歩(2017年11月21日)しました。(このコースの所要時間は2時間弱くらいです。)

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代々木八幡宮

まずは、小田急線代々木八幡駅の駅名の由来となっている「代々木八幡宮」を訪ねます。駅名は知っていても、下車して八幡宮まで訪れる機会は少ないかもしれません。駅から5分くらいの距離にあります。

代々木八幡宮

関東にある八幡様なので、源氏に関係するお社かな?と想像しながら由緒書きを読んでみると・・・

当社は鎌倉時代初め、建暦二年(1212年)9月23日に鎌倉幕府第二代将軍源頼家公にかかわる遺臣荒井外記智明によって創建された。

智明は、頼家公が伊豆の修善寺で非業の最期を遂げられてからこの代々木の地に隠棲され、名も宗祐と改めて、日夜亡き主君らの冥福を祈っていたが、ある夜夢の中に故郷鎌倉の八幡宮から宝珠のごとき鏡を感得された。

これによって小祠を営み、八幡宮を勧請されたのがはじまりである。

代々木八幡宮由緒より

やはり源氏とつながりがありました。源頼家について吾妻鑑では、家臣や御家人の女性を奪い取ったなど暴君的な記載もあるのですが、北条得宗家の正当性を強調するために3人の将軍については手厳しく書かれているので、そのまま鵜呑みにはできません。荒井外記智明のように後々まで冥福を祈る家臣もいたことがそれを物語っています。どうしようもないご主人ですと、なかなかこのようにはできないのではないかと想像します。

ちなみにこちらの八幡宮、「御宿かわせみ」や「はやぶさ新八御用帳」などで有名な作家の平岩弓枝さのご実家でもあります。

代々木公園

代々木八幡宮からすぐの代々木公園に歩みを進めます。代々木公園を通って原宿駅付近から明治神宮へ向かっています。代々木公園はすっかり秋の装い。園内にある池は、まるで平安時代の貴族の庭園を思わせるような美しさでした。

代々木公園の池

この代々木公園、かっては陸軍の代々木練兵場でした。軍用地だったのです。今でも往時を思わせるものとして、「閲兵式の松」が無骨な枝ぶりを誇っています。

閲兵式の松(代々木公園)

閲兵式の松

代々木公園がかつて陸軍の代々木代々木練兵場であった時代、観兵式が行われた。親閲に際し天皇陛下が傍らに立たれたと伝わるこの黒松は「閲兵式の松」と呼ばれている。(中略)往時とほとんど変わらぬ「閲兵式の松」の枝振りは、天皇陛下のご事蹟を偲ぶに相応しい風格を今も湛えている。

「閲兵式の松」より

いまは、この黒松の横を代々木公園内にできた「こども園」の幼児たちが元気に手を繋ぎ列をつくって歩いています。

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明治神宮

代々木公園を出て原宿駅方面から明治神宮に参拝します。この明治神宮の地は、江戸期には肥後藩主加藤家の別邸、加藤家改易後は彦根藩井伊家の下屋敷でした。神宮内には加藤清正にちなんで「清正井」と名付けられている湧水の井戸があります。そのほか、この地には清正にちなんだ伝説がたくさん。

清正井(明治神宮)

詳しくは、清正井(明治神宮)をご覧下さい。

蛇足ですが、加藤清正が豊臣家があるうちに江戸に屋敷をつくったかな?と少し疑問もありますが、子忠広の屋敷であったことは間違いありません。清正といえば、朝鮮の陣での籠城戦水不足~熊本城の無数の井戸ということで、加藤家つながりで清正井と呼ばれるようになったのかなと想像します。

明治神宮本殿付近では、2日後の新嘗祭(11月23日)の準備が進んでいました。五穀豊穣を祈念する飛鳥時代の皇極天皇(斉明天皇)以来の宮中行事です(今は勤労感謝の日とも)。明治天皇をご祭神とする明治神宮にも全国各地からの農産物が届き、奉納の準備が進んでいました。こういった日本の伝統大切にしたいですね。

新嘗祭(明治神宮)

さて今回は、ふらりと歴史散歩した代々木八幡宮~明治神宮についてご紹介しました。これからより紅葉の映える季節です。ぜひ身近な歴史散歩に出かけてみてはいかがでしょうか?

 



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