【歴食】江戸の味わい 金沢森八「長生殿」

投稿者: | 2017年12月8日

私は歴史が好きで、同じくらい美味しいものを食べるのが好きです。そのため、歴史ある食べ物にとても関心があります。

「和食」日本の伝統的な食文化は、2013年にユネスコの無形文化遺産に登録されています。私たちの誇るべき食文化、古くから人々に愛され、その伝統を今に引き継いでいる料理やお菓子などを、誕生のエピソードなどとあわせてご紹介していけたらと思います。実際に私が食したものを紹介しますので順番には特に意味はありませんし、時代も様々、分野もお菓子であったり、鍋であったり様々です。この記事を通して私自身ももっと日本の食文化を身近に感じ、勉強にもなればと考えています。

第一回は、日本三銘菓の一つに数えられる加賀100万石の菓子文化から加賀藩御用達菓子匠 森八「長生殿」をご紹介します。

長生殿(ちょうせいでん)と文化人たち

長生殿は、今から約390年前の江戸初期に加賀で誕生した御菓子です。森八家伝の精粉(もち米粉)と四国特産の純和三盆糖により作られる紅白の落雁です。この御菓子には日本文化に影響を与えた人物たちがかかわっています。

金沢森八「長生殿」

“長生殿は往昔白色長方形に胡麻をふりかけしものなりしが後水尾帝これを叡覧ましまして「田の面に落つる雁のやう」と宣ひしより落雁と名付そめにけり、其後利常公(加賀藩前田家三代藩主)の創意により、唐墨の形にまなび、小堀遠州卿これに長生殿と題し給ふ、これ墨形長生殿の始となす。その後渦型、ねじ梅、糸巻、鱗鶴、末広、青梅波など次々にうまれ、雲上に召されしこと屡々(しばしば)なりしかばいつしか御所落雁とも称ふるに至れり そもそも長生殿は家伝の精粉と、昔ながらの製法になる高価にして無類極上なる四国特産の純和三盆糖とをもて製し、彩るに本紅を用ひたれば、高尚優雅にして永く蓄蔵に耐へ、日本名菓の随一と感賞せらるること昔も今も変わることなし。

出典: www.morihachi.co.jp

後水尾天皇へ献上

この御菓子の原型とされる胡麻入りのものを献上された後水尾天皇は、江戸初期の天皇で徳川家が朝廷に対しての統制を強める中で、気概を示した天皇としても知られています。献上された長生殿は、白い長方形に胡麻が振りかけられたもので、田んぼに雁の群れが舞い降りているように見えたのでしょう。このことから落雁と名付けられたそうです。

天皇の御世には、禁中並公家諸法度の制定、およつ御料人事件、紫衣(しえ)事件、無位無官の春日の局が参内する金杯事件など将軍秀忠との激しい鍔迫り合いがありました。幕府の統制への反発として、幕府へ通告なく譲位を行うなど気性の激しい面もあったようですが、一方で勅撰和歌集「類題和歌集」の編纂を臣下に命じたり、自ら「伊勢物語御抄」をまとめられたりと当時一流の文化人でもありました。

前田利常がかたち創る

前田利常は、前田利家の子であり、長身で利家に姿が似ていたことから兄利長の養子に選ばれたと言われています。大坂冬の陣では真田信繁の真田丸を攻めて手痛い反撃に合いますが、冬の陣では大野治房の軍に勝利するなど、利家譲り気質と戦国の余韻の汎う優れた武将でもありました。幕府からの謀反の疑いをかわすために、わざと鼻毛を伸ばしてうつけ者を装っていた逸話もあります。

この利常、加賀ルネサンスと言われるほど加賀の文化を花開かせた人物でもありました。7月7日の七夕の御菓子を森八の三代目八左衛門にを下命し、その原型を見て「唐の墨の形にすればオシャレではないか?」と提案したことで、長生殿のかたちが定まりました。娘が後水尾天皇の皇子八条宮に嫁いでいたこともあり、後水尾院とも深い親交がありました。

名付けの親は小堀遠州

そして、長生殿の名付けの親が小堀遠州です。遠州といえば、10歳の頃豊臣秀長の小姓として千利休との出会い、古田織部から茶道の教えを受けた、現代に続く遠州流茶道の祖ですが、もともと武将であり城づくりの名人としても知られています。30歳のときには家康の駿府城の天守閣の作事を行い、その見事な出来栄えに「従五位下遠江守」の官位を得ます。このことから遠州と呼ばれるようになりました。木造復元で話題の名古屋城天守も遠州は作事奉行として深く関わっています。天守閣なら遠州というくらいの名人でもありました。

また、遠州は和歌や藤原定家の書を学び、王朝文化の美意識を茶の湯に取り入れ「きれいさび」という新たな美を世に生み出しました。遠州は、7月7日の七夕に玄宗と楊貴妃が愛を語り合った場所が長生殿であった故事から七夕の菓子として「長生殿」と名付けたのです。現在も、森八では小堀遠州直筆の「長生殿」と彫り込まれた木型が用いられています。

小堀遠州

歴史を想いながら

長生殿は、口の中で初めはゆっくりと、そして後からはすっと溶けていきます。甘さが強すぎることもなく、弱いこともなく、そして後味も爽やかでした。お茶はお薄が良いように思います。と思いましたが、これは人の好みによりますし、食してみるのが一番かと思います。

長生殿に係る3人は、いずれも同じサロンの仲間とも言える当代一流の文化人でした。歴史を知りながら食することができるのは歴史好きの良いところだと思います。歴史が好きな方は、この3人が食し、誕生に関わった御菓子をぜひ歴史を感じながらご賞味いただけたらと思います。

より詳しくは

加賀藩御用菓子司 森八

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