【忠臣蔵】元禄の暮れの様子は西鶴の「世間胸算用」で

投稿者: | 2017年12月10日

今年も早いもので師走、忠臣蔵の季節となりました。時代劇の放送が少なくなる中でも根強い人気がある忠臣蔵、そのお話の中心となる大石内蔵助の妻りくの書状が、りくの故郷豊岡で発見されました。親戚筋の弘前藩士あての書状が弘前でなく豊岡で発見されたのにはドラマを感じます。

りくの書状発見の報道

大石内蔵助の妻りく直筆の手紙見つかる 豊岡 2017年12月8日 神戸新聞NEXT

忠臣蔵で知られる大石内蔵助の妻りくによる直筆の手紙がこのほど、りくの出身地、兵庫県豊岡市で見つかった。手紙には内蔵助の遺児となった三男の仕官や、次女の縁組への喜びがつづられ、関係者は「300年の時を超え、りくの思いがよみがえった」と喜ぶ。

出典: www.kobe-np.co.jp

大石りくの書状発見 2017年12月8日 読売新聞

大石吉恭(よしやす)の仕官

名将言行録には「正徳三年、浅野安藝守吉重、良雄の末子吉恭を召し、祿一千五百石を授く。」とあり、正徳三年は西暦1713年ですので、元禄十五年(1702年)の吉良邸討ち入りから11年ほど後の手紙と考えられます。赤穂藩での内蔵助は1500石でしたので、かつての大石家と同じ知行での召抱えであり、苦労を乗り越えたりくの喜びはとても大きかったものと想像できます。

元禄の風

赤穂事件のことを私たちは忠臣蔵のドラマや映画、小説などで知ることができます。ただ現代のようにニュースのVTRがあるわけでもありませんので、真実に近づくことはできても事実を正確に知ることは難しいように思います。それでも、少しずつ今回のような史料が発見されることで関係する人々の心に触れることができるのは嬉しいですね。

吉良邸への討ち入り

関係する人たち直接でなくても、当時のことを考える際には、現代の感覚ではなく、その時代の空気、風を感じることが大切なように思います。その方法として、その時代の書籍を読むというのもいいかなと思います。嬉しいことに現代語訳された当時の本が出版されています。元禄赤穂事件であれば、その頃の人々の様子を知るためには井原西鶴がおすすめです。

中でも「世間胸算用」は副題が「大晦日は一日千金」とあるように当時の年末の様子がとても伝わり、ちょうど12月14日の赤穂事件の頃と季節も重なります。もっとも元禄5年出版のため、10年ほど時代の違いはありますが、元禄という時代の様子、空気はよく感じることができます。

私も書棚から取り出して改めて読んでみますと、当時の年末の様子を面白可笑しく知ることができました。西鶴は大坂(難波)の人なので、この笑いは現代の関西のお笑いに通じるものがあるかなと感じます。

今年の年末、忠臣蔵と合わせて、当時の人々の生き生きとした行き方暮らし方を感じてみるのはいかがでしょうか?