平成30年1月は厳寒の日々続きでしたが、それでも各地からたくさんの新たな発見の情報が届きました。NHK大河ドラマ西郷どんの影響もあってか幕末に関係する発見の報道もたくさんありました。さっそくダイジェストで新発見を振り返ります。(2018年1月31日最終更新)
縄文時代
しま模様浮かぶ「重文級」縄文漆器…精巧な彫刻 2018年1月4日 読売新聞
茨城県つくば市の上境旭台(かみざかいあさひだい)貝塚で、精巧な彫刻を施した縄文時代後期(約4000年前)の漆塗り大型容器の一部が出土した。 専門家は「重要文化財級の発見」と評価している。
古墳時代
志布志で古墳時代の短甲など出土 2018年1月26日 NHK
志布志市で先月、5世紀末の古墳時代のものと見られる墓やよろいなど多くの副葬品が見つかり、墓に埋葬された人が当時の大和政権と直接関わる活動をしていたことを示すものだとして注目されています。見つかったのは、地下に横に掘られた穴に作られた「地下式横穴墓」と呼ばれる、5世紀末の古墳時代のものと見られる墓と副装品です。
出典: www3.nhk.or.jp
奈良時代
府中で古代山陽道の側溝を発見 往時の大動脈の一端が明らかに 2018年1月11日 山陽新聞
府中市教委が府中町の市有地で行った発掘調査で、古代山陽道の両側に設けられた側溝が見つかり、周辺の道幅が約10メートルだったことが分かった。近くには国史跡・備後国府跡(元町)があり、往時の交通の大動脈の一端が明らかになった。市教委は「道の両側の側溝が見つかり、道幅が確定できたのは広島県内で初めて。全国的にも兵庫県の明石市や上郡町など数例」としている。
出典: www.sanyonews.jp
藤原氏ゆかり貴族宅? – 墨書土器に「宮寺」/平城京の邸宅跡で 2018年1月17日 奈良新聞
奈良時代(8世紀)の貴族の邸宅跡とみられる奈良市法蓮町の平城京左京二条四坊十坪の発掘現場で、「宮寺」と書かれた墨書土器が出土していたことが分かった。法華寺(同市法華寺町)の前身寺院で、藤原氏出身の光明皇后が創建した宮寺を指すと推定。邸宅跡と藤原氏との関係をうかがわせる資料として注目される。
平安時代
春日大社の太刀 平安時代後期の最古級か 2018年1月22日 NHK
奈良市の春日大社で昭和14年に見つかった太刀を研ぎ直して調査したところ、平安時代後期に作られた、今の形の日本刀としては最古級のものと見られることがわかりました。
出典: www3.nhk.or.jp
室町時代
2メートル石積み 城壁出土 建造技術手掛かりに 浦添城跡 2018年1月19日 琉球新報
浦添市教育委員会による浦添城跡(国指定史跡)の発掘調査で、浦添城跡(国指定史跡)から長さ約8メートル、高さ約2メートルの14世紀ごろの石積み城壁が18日までに出土した。浦添グスクの建造技術などを知る貴重な発見となった。
出典: ryukyushimpo.jp
安土桃山時代
宇治川太閤堤跡の護岸施設・石出し、13メートルも川に突き出す 発掘調査で確認 2018年1月24日 産経新聞
京都府宇治市の史跡・宇治川太閤堤跡で、安土桃山時代に豊臣秀吉が造成した護岸施設の石出しが確認され、市が23日発表した。当時の宇治川下流にあたる北側ではこれまで石出し3基(長さ7・5~9メートル)が見つかっているが、今回の石出しを復元すると、長さ13メートルとなり、最も川に突き出た形だったことが判明した。
出典: www.sankei.com
江戸時代
梅田雲浜直筆の書簡、山口萩に現存 吉田松陰らとの親密さ示す 2018年1月4日 福井新聞
元小浜藩士で幕末の尊王攘夷の志士、梅田雲浜(1815~59年)が長州藩士に送った直筆書簡が、山口県萩市の同市立萩博物館に保管されていることが分かった。文面からは松下村塾で知られる吉田松陰らとの親密な関係がうかがえ、雲浜研究者は「松陰が雲浜を好ましく思っていなかったという説もあるが、実際は信頼し合い、濃密につながっていたことがあらためて証明される」としている。
東大研究チーム アイヌ宛て最古の古文書 ロシアで発見 毎日新聞
当時の松前藩から漂流船扱いなど指示 江戸時代後期の1778(安永7)年に当時の松前藩から北海道東部のアイヌ民族の有力者に宛てた文書の原本が、ロシアのサンクトペテルブルクに残されていた。東京大史料編纂(へんさん)所などの研究チームの調査で見つかった。240年前に松前藩からアイヌ民族に手渡された最古のオリジナル文書とみられ、アイヌ民族とロシアとの接点を示すものとしても注目される。
出典: mainichi.jp
日本画家山元春挙が大正時代に建てた別荘庭園・蘆花浅水(ろかせんすい)荘(記恩寺、大津市中庄1丁目)で長年、庭木に埋もれていたしゃちほこ(鯱瓦(しゃちかわら))が、膳所城の鯱瓦だった可能性が高まっている。同城の鯱瓦は市内の神社や瀬田小も所蔵しており、大津市歴史博物館は「ひれの形が似ている」として近く調査する。
江戸時代、作事所の痕跡確認 くぎや建築材出土 2018年1月13日 愛媛新聞
愛媛県宇和島市教育委員会は12日までに、宇和島城南側の日本たばこ産業宇和島営業所跡地(丸之内2丁目)の発掘調査で、江戸時代に大工職人らが城や伊達家の御殿など藩の建築資材を営繕していた「作事所(さくじしょ)」の痕跡を確認した。
水戸城大手門跡 国内最大級の瓦塀 高さ5メートル規模 2018年1月16日 茨城新聞
水戸城大手門跡(水戸市三の丸)の南側で新たに「瓦塀」2棟が出土し、同市は15日、関係者や報道陣などに公開した。瓦塀は2年前に北側でも2棟が出土し、同市によると、計4棟の瓦塀を備えた城門の発見は国内で初めて。市歴史文化財課は「復元すれば高さ5メートルに及ぶ日本最大級の規模」とする。
出典: ibarakinews.jp
高杉晋作の斬首、長州藩が検討…岩国で文書発見 2018年1月21日 読売新聞
幕末の長州藩が1864年(元治元年)7月の禁門の変に敗れた後、奇兵隊の創設者・高杉晋作(1839~67年)の切腹や斬首を検討していたことを示す文書が、山口県岩国市の市立博物館「岩国徴古館(ちょうこかん)」が所蔵する長州藩岩国支藩の藩政史料から見つかった。
三重津海軍所跡、絵図と規模同等…建物跡は材木小屋か 2018年1月27日 読売新聞
佐賀市教委は、「明治日本の産業革命遺産」の構成資産として世界文化遺産に登録された三重津海軍所跡の発掘状況を公開した。昨年度に見つかった建物跡の規模が確認され、文献に計画図が記された材木小屋の跡地である可能性が高まった。今後、学識者の意見を聞きながら建物の用途の解明を進める。
松山城三之丸跡20次調査 馬場出入り口構造判明 2018年1月25日 愛媛新聞
愛媛県の松山市埋蔵文化財センターは25日、同市堀之内の松山城三之丸跡20次調査で、江戸時代に藩士が乗馬訓練した馬場の出入り口付近の構造や、周辺の石積み水路の状況が分かったと発表した。「当時の絵図などである程度の姿は判明していたが省略されるなどしており、詳細が確認できた」という。
幻の薩摩藩京都「岡崎屋敷」発見 2018年1月26日 産経新聞
慶応2(1866)年正月28日、京都に滞在していた薩摩藩家老の桂久武は、その上京日記に「此日岡崎御屋敷毎月例之通之一陳調練有之由」と、岡崎に設けられた屋敷(調練場)での月例調練について記した。 岡崎屋敷についての記述は他にもあり、一昨年、鴨川以東の岡崎界隈(かいわい)に「薩州ヤシキ」と描かれている古地図の存在が話題になったが、正確な場所などは不明のままであった。 今回、古地図研究第一人者で佛教大学非常勤講師の伊東宗裕氏と、西郷隆盛研究家の原田良子氏が、岡崎屋敷の正確な位置や規模、存続期間がわかる古地図を確認した。
出典: www.sankei.com
明治時代
幻の西郷像、京都に建立計画 上野の除幕10年前に 2018年1月22日 京都新聞
明治維新の立役者、西郷隆盛の銅像が京都に建っていたかもしれない-。「幻の西郷像」の構想があったことを示す史料が、京都市東山区の霊山歴史館で見つかった。明治時代に東京・上野で西郷像が除幕する10年も前に、清水寺(同区)の参道沿いに西郷像の建立計画が持ち上がっていたことが分かる史料で、京都での西郷の人気ぶりがうかがえる。