桜の開花もあと数日かという春うららな陽気の中、以前から気になっていた八王子市の片倉城址へ行ってまいりました。元々中世の石垣や天守閣のない土の城が好きなため、知り合いから「絶対楽しめるよ!」と勧められていたのですが、なかなか機会がなく今回が初めての訪問となりました。(2018年3月18日訪問)
片倉城の概要
JR横浜線の片倉駅のホームに降り立つと、すぐにこんもりとした緑の山「片倉城址」を目にすることができます。駅からは本当に近くて徒歩5分くらいです。
この地は、鎌倉時代初期には武蔵七党の横山党(横山氏)が治めていましたが、和田合戦で和田方についた横山氏が滅亡すると、合戦に功のあった大江広元の所領となりました。その後広元の次子長井時広の長井氏の一族が長く治めました。
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長井氏は、室町時代には扇谷上杉氏の家臣となり、片倉城を築いたとも言われていますが定かではないようです。ただ、扇谷上杉朝定によって再築された深大寺城と、築城の特徴が類似していることから、同じ時期に築城されたものとも考えられます。
廃城の時期もはっきりとわかっていませんが、後ほどご案内するように、小豪族・国衆の館としては規模が大きいことが遺構からも確認できます。そのため、戦国期には小田原北条氏の近隣の滝山城の支城として使われていたのではないかという説もあります。
その説に関連し、永禄12年(1569)の武田信玄と北条氏との戦い「三増峠の戦い」では、甲州に撤退する信玄を待ち構えるべく、北条氏照と北条氏邦が出陣した城とも言われています。武田勢は、小田原城を包囲する前に、滝川城を落城寸前まで追い詰めました。そのため、北条氏照らは片倉城で軍勢を整えたのかもしれません。
二の丸は大変広く、かなりの大軍でも収容ができそうです。今は芝生広場となっていて良い天気の日はとても気持ちがよさそう。桜のシーズンはきっとすごい軍勢が。。でなくてすごい花見客でしょうね。
二の丸先には、かなりの幅の空堀があります。この城は、南側以外は断崖で堅固のなので、寄せ手はきっとこの堀のある南側から攻めるのが正攻法となると思われます。そのため、こちらの堀はかなりの規模であったことが想像できます。現在は、かなり浅くなってますが当時はかなりの深堀だったのでしょうね。
本丸と二の丸の間にも堀があり、本丸は二の丸の半分以下くらいの広さとなっています。本丸の先は崖なので、城としては一番奥に一番大事な本陣があるといった感じになります。八王子市が片倉城跡公園案内図を公開していますので、そちらを参考にすると城の遺構の位置等がよくわかります。
写真では、それほどの断崖に感じられないかもしれないのですが、行ってみるとこれを攻めるのは至難ときっと思われることでしょう。そして崖下は、三方が山からの湧水を水源とする湿地帯で、その先には天然の堀として湯殿川が流れています。湧水があるというのも籠城にはとても優位です。
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住吉神社(城址内)
本丸を守る郭のひとつに住吉神社があります。こちらは、長井道広が応安5年(1372)に城の鎮守の神として、摂津の国の住吉大社を勧請したものと伝わっています。
毛利氏も大江氏の支流なので家紋は長井氏と同じ一文字に三星ですね。
この城址は、カタクリの群生地としても知られています。片栗粉のカタクリです。今は、じゃがいものデンプンで代用されていますね。そういえば、深大寺でもカタクリが保護されていました。もしかしたら、兵糧用として、栽培していた??というのは考えすぎだと(自分でも)思います(笑)。
中世の土の城好きには本当にたまらない城跡でした。そんなお城が好きな方はぜひぜひおすすめします!
案内図
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