2018年3月 日本史新発見ダイジェスト

投稿者: | 2018年4月2日

平成30年3月も各地からたくさんの新たな発見の情報が届きました。印象に残ったのは、縄文時代の漆器の発見と、地下水を用いた木の実の保存法です。縄文時代というと土器というイメージがありますが、そんなことはないのですね。また、地下水の一定の温度を利用した木の実保存は、自然とともに暮らす人々の知恵とはいえ、この時代にこのような保存をしていたなんて!ととても驚きました。それでは、さっそくダイジェストで新発見を振り返ります。(2018年4月2日最終更新)

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縄文時代

つくば・上境旭台貝塚 縄文後期の漆器40点「技術の高さ物語る」 茨城新聞 2018年3月7日

県教育財団は7日、つくば市栄の上境旭台(かみざかいあさひだい)貝塚発掘調査で、縄文時代後期の漆器約40点などを確認したと発表した。縄文時代の漆器が出土するのは県内で初めて。全国的にも珍しく、同財団は「漆工や木工技術の高さを物語る貴重な発見」と話している。調査対象は台地の上層から低地までの3718平方メートル。縄文時代後・晩期(約4千~3千年前)の集落跡で、台地部と斜面部、低地部の3カ所で行われ、コンテナ約700個分の遺物を発見した。

出典: ibarakinews.jp

松阪・国史跡「天白遺跡」 「神山」を指す配石遺構 伊勢新聞 2018年3月18日

三重県松阪市嬉野釜生田町の国史跡「天白遺跡」(縄文時代後期)に散らばる西日本最大級の配石遺構群は意味するところが分からなかったが、周りに見える阿坂山(松阪市)や堀坂山(同)など三角すいの山の方向にそれぞれ向いていることが分かった。

出典: www.isenp.co.jp

縄文時代、地下水で木の実保管? 南相馬の鷺内遺跡 福島民報 2018年3月19日

南相馬市鹿島区の鷺内(さぎうち)遺跡で、約3000年前の縄文時代に木の実を保存していた貯蔵穴が見つかった。市教委によると、地下水を利用して木の実を保管していた痕跡が見られる貴重な発見という。18日、現地説明会で公開された。

出典: www.minpo.jp

弥生時代

同構造の建物群描いた弥生絵画 初の発見、土器片に鮮明 朝日新聞 2018年3月23日

大阪府茨木市の弥生時代の集落遺跡の中河原(なかがわら)遺跡で、弥生時代中期(約2千年前)とみられる切り妻(づま)屋根の高床建物5棟が描かれた土器片がみつかった。茨木市教育委員会が23日発表した。同じ構造と明瞭にわかる建物群が表現されている弥生絵画の発見は全国で初めて。専門家は弥生時代の集落の姿や、当時の祭祀(さいし)のあり方を探る重要な資料として注目する。

出典: www.asahi.com

古墳時代

岡山の古墳から国産青銅鏡 4世紀の津倉古墳  産経新聞 2018年3月14日

岡山大は14日、岡山市北区にある古墳時代前期の津倉古墳(4世紀)の竪穴式石室から青銅鏡が見つかったと発表した。日本で製作された「●(=口を横に二つ、下に田一縄の旧字体のつくりを縦並べ)竜鏡」と考えられ、古墳築造の詳細な年代や被葬者像の解明が期待できるとしている。

出典: www.sankei.com

島根)益田・スクモ塚古墳で埴輪4体出土 朝日新聞 2018年3月21日

益田市教育委員会は、同市久城町の国指定史跡「スクモ塚古墳」で古墳時代中期(5世紀前半)の埴輪(はにわ)4体が出土したと発表した。市教委文化財課は「古墳が造られた時期を裏付ける貴重な手がかりになる」と評価している。

出典: www.asahi.com

飛鳥時代

大極殿院東側回廊は長さ152m 奈良・橿原の藤原宮跡 共同通信 2018年3月1日

奈良県橿原市の藤原宮跡(694~710年)で、天皇が執務をした「大極殿」を囲む回廊の東側の長さが約152メートルと分かり、奈良文化財研究所が1日、発表した。研究所は「大極殿と回廊で構成され、宮の中心部分である大極殿院の全体像がより明らかになった」としている。

出典: this.kiji.is

奈良時代

長岡京最南端の東西道路発見 京都、古墳共存で開発か 京都新聞 2018年3月12日

京都府長岡京市埋蔵文化財センターは12日、同市勝竜寺の長岡第八小で実施している発掘調査で、長岡京(8世紀後半)の東西を走る「八条条間北小路」の道路側溝を確認した、と発表した。長岡京の東西道路の確実な発見例としては最南端で、同センターは「長岡京の造営実態を解明する上で、重要な成果」としている。

出典: www.kyoto-np.co.jp

ふくよか仏の顔、木札に墨絵 7~10世紀の如来像か 朝日新聞 2018年3月18日

「飛鳥美人」で知られる奈良県明日香村の高松塚古墳(7世紀末~8世紀初め)の極彩色壁画(国宝)とよく似た女子群像の板絵がみつかった鳥取市の青谷横木(あおやよこぎ)遺跡で、仏の顔とみられる墨絵の描かれた木札が出土していたことが分かった。

出典: www.asahi.com

平安時代

国庁の「前殿」遺構発見 西都の日向国府跡 宮崎日日新聞 2018年3月9日

西都市教委は、同市右松の国指定史跡「日向国府跡」にあった建物「国庁」の発掘調査で、「前殿(ぜんでん)」と呼ばれる建物の遺構が新たに見つかったと明らかにした。同市教委によると前殿跡は国内で数件にとどまり、珍しいという。「脇殿(わきでん)」と呼ばれる建物跡も二つ確認された。

出典: www.the-miyanichi.co.jp

平安京、新たに大型建物跡 未婚の皇女「斎王」の邸宅? 朝日新聞 2018年3月23日

平安京で最大級の貴族邸宅とみられる平安時代前期(9世紀前半)の大型建物跡がみつかっていた京都市中京区の島津製作所三条工場内で、さらに1棟の大型建物跡が出土した。京都市埋蔵文化財研究所が23日発表した。「齋」と記された墨書土器もみつかり、専門家は、京都三大祭りの一つ、葵祭(あおいまつり)のヒロイン役のモデルとされ、古代には伊勢神宮や賀茂神社に仕えた未婚の皇女「斎王(さいおう)(斎宮(さいくう)、斎院(さいいん))」の住まいだった可能性を指摘する。

出典: www.asahi.com

鎌倉時代

平安京の源氏の“聖地”に馬丸ごと埋葬した跡 承久の乱に関与の武士か、尽きぬ興味 産経新聞 2018年3月8日

これまで馬を埋葬した遺構は見つかったことがなかった京都市下京区の平安京跡から、馬を1頭丸ごと埋葬した跡が出土した。調査を担当した元興寺文化財研究所(奈良市)によると、平安京では初めての例だという。

出典: www.sankei.com

戦国時代

松波城にやぐら、屋敷 能登町教委、6棟分の遺構確認 北國新聞 2018年3月24日

能登町松波の町史跡「松波城跡」に、建物6棟の柱の跡とみられる遺構が存在することが、町教委の調査で分かった。このうち4棟は見張りと海上監視用の物見やぐら、2棟は屋敷だったとみられる。見つかった柱の跡周囲の出土品から、町教委は城跡にある国名勝「旧松波城庭園」と同じ室町後期の15世紀後半に築かれたとみている。

出典: www.hokkoku.co.jp

安土桃山時代

吉田城址 本丸 堀の発掘調査 池田輝政が築いた石垣に、例の無い基礎構造 豊橋市 2018年2月27日

豊臣秀吉の重臣である池田輝政が、天正18 年(1590)ごろに築いた石垣の基礎を発掘調査しました。通常の石垣とは異なる、ほかに例の無い基礎構造が見つかり、初期の城の石垣の構造を考えるうえで重要な知見を得ることができました。(豊橋市)

上田城跡公園から金箔瓦 真田昌幸の時代か 信濃毎日新聞 2018年3月8日

上田市教育委員会は7日、同市の国史跡上田城跡(上田城跡公園)の本丸土塁跡付近から金箔(きんぱく)を施した瓦の破片1個が出土したと発表した。瓦は上田城の初代城主・真田昌幸の時代に本丸の建物に使われた可能性が高い。同城跡で金箔瓦が出土したのは1927(昭和2)年の2点、91年の2点に続き、3度目で5点目。金箔瓦は天下統一した豊臣秀吉が権力の象徴として家臣の城郭に使用を許可したとされ、昌幸時代の上田城も天守閣に相当するような立派な建物があった可能性を示す発見として注目されそうだ。

出典: www.shinmai.co.jp

信長の近江戦略ささえた大溝城 新発見で本丸の規模明らかに/滋賀(BBCびわ湖放送)2018年3月20日

戦国時代、織田信長が高島のびわ湖岸に築いた水城大溝城の遺跡から、新たな石垣が見つかりました。
本丸の構造や規模を明らかにする発見として注目されそうです。
大溝城は、安土城・長浜城・坂本城の3つの城とともに信長の近江掌握の拠点として、天正6年・1578年に築かれました。しかし、1582年の本能寺の変により、築城から数年で取り壊され、正確な構造や規模はこれまでわかっていませんでした。発掘調査を行ってきた高島市教育委員会によると、今年度の調査で本丸の南西側と北側の2カ所で新たな石垣が発見されました。

「信長様に早くあいさつを」秀吉の書状発見 読売新聞 2018年3月16日

織田信長が中国地方を支配する毛利輝元を攻めた「中国攻め」で、羽柴(豊臣)秀吉が播磨(兵庫県)の有力武士に宛てた書状が見つかった。 秀吉が播磨を制圧するため、敵を味方に引き入れる調略を行っていたことを示す内容。

出典: premium.yomiuri.co.jp

焼失天守閣伝える瓦 小倉城 堀から発見 小笠原 細川 豊臣の家紋入り 西日本新聞 2018年3月16日

北九州市は16日、小倉城(小倉北区城内)の内堀から、1837年の火災で焼失した天守閣の瓦や木材片とみられる遺物が見つかったと発表した。天守閣は火災以降、1959年まで再建されず、江戸期の天守閣の遺物が見つかったのは初めて。調査した市芸術文化振興財団は「文献でしか確認できなかった当時の火災の実証につながる貴重な資料」としている。

出典: www.nishinippon.co.jp

秀吉の「宛行状」、旧家で発見 国人領主「間嶋兵衛尉」へ 愛媛新聞 2018年3月31日

正岡子規の書簡が見つかった愛媛県松山市の旧家では、豊臣秀吉の書状も保管されていることが30日までに分かった。宛名は、軍記物などでしか存在が確認されていなかった間嶋兵衛尉(まじま・ひょうえのじょう)という人物で、2千石を与えるとしている。

出典: www.ehime-np.co.jp



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江戸時代

大洲城跡二の丸奥御殿 江戸時代前期の三つの異なる時期の石垣を確認 愛媛新聞 2018年3月2日

愛媛県大洲市教育委員会は2日、大洲城跡二の丸奥御殿(大洲市大洲)の石垣保存修理工事に伴う調査で、江戸時代前期の三つの異なる時期の石垣が確認されたと発表した(愛媛新聞)

西郷隆盛の新発田訪問 文書発見 従来の説覆す内容 清水園で公開 新潟日報 2018年3月13日

新大名誉教授で郷土史に詳しい冨沢信明さん(75)=新発田市米倉=が、戊辰戦争時に西郷隆盛が新政府軍の本営のあった新発田を訪れていたとする聞き書き文書を見つけ、近く論文として発表する。これまで西郷は、要請されても新発田に行かなかったとされており、従来の説を覆す内容だ。文書は13日から、新発田市大栄町7の清水園で公開される。

出典: www.niigata-nippo.co.jp

浜田城跡から石垣遺構 「往時の姿が一部明らかに」産経新聞 2018年3月18日

島根県浜田市の浜田城跡から、江戸時代に築かれたとみられる石垣や土塀の痕跡などが見つかり、市教委文化振興課が14日、発表した。同課は「未解明の部分が多い浜田城の往時の姿が一部明らかになった」と評価している。

出典: www.sankei.com

福岡城の創建時のしゃちほこ、所蔵を確認 幕末まで通しても出土例少なく ほぼ完成形は初めて 西日本新聞 2018年3月25日

国指定史跡、福岡城跡(福岡市中央区)にあった鯱瓦(しゃちがわら)(しゃちほこ)が、九州大総合研究博物館(同市東区)に所蔵されていることが分かった。築城期(1601~07年)に作られた可能性がある。この時期の福岡城の鯱瓦は希少。幕末まで通しても出土例は少なく、大半が瓦片で完全な形に近い例はない。創建時からの城の成り立ちを考える、貴重な史料となりそうだ。

出典: www.nishinippon.co.jp

明治時代

西郷と愛加那の長女の写真、龍郷町に子孫が寄贈 4月20日から公開 西日本新聞 2018年3月7日

西郷隆盛と愛加那の長女菊子(菊草)とみられる人物が写った写真が子孫宅で見つかり、龍郷町に寄贈された。長男菊次郎やその家族らと撮ったもので、4月20日から町生涯学習センター「りゅうがく館」で始まる特別企画展で一般公開される

出典: 373news.com

備中松山藩主と家老の自訴状発見 山陽新聞 2018年3月8日

江戸末期に幕府要職を務め、明治新政府から「朝敵」とされた備中松山藩の藩主板倉勝静(かつきよ)(1823〜89年)と、家老大石隼雄(29〜99年)が戊辰(ぼしん)戦争終結後、新政府側に出した自訴状が高松市の大石の子孫宅で見つかり、8日までに高梁市歴史美術館(同市原田北町)に寄託された。自筆とみられ、同市教委は「藩存続の瀬戸際にあった当時の緊迫感が伝わる貴重な史料」と評価している。

出典: this.kiji.is

2018年(平成30年)日本史新発見のまとめ



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