平成30年8月も各地からたくさんの新たな発見の情報が届きました。日米修好通商条約に幕府が用いた公印「経文緯武(けいぶんいぶ)」の発見の報道では「えっ!徳川埋蔵金!」と一瞬読み間違えをして驚いてしまった方も多かったようです(わたしもです…)。また、2020年大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公明智光秀の信長に仕える前の動向にも関係する資料も見つかりました。今後の新発見にも期待ですね。それでは、さっそくダイジェストで新発見を振り返ります。(2018年9月1日最終更新)
縄文時代
福山・御領遺跡に縄文期注口土器 2点発見、割れた状態を復元 2018年8月26日 山陽新聞
福山市神辺町御領地区にある広島県内最大級の集落遺跡「御領遺跡」で、縄文時代後期から晩期(約4000~2400年前)にかけてのものとみられる注口土器(側面などに注ぎ口が付いた土器)2点が見つかった。幾つかに割れた状態だったが、元の形状にきれいに復元。これほど状態が良い例は珍しく、当時をうかがう貴重な史料となりそうだ。
出典: www.sanyonews.jp
古墳時代
壺形の人物埴輪出土 全国に例なく「独自発想か」 浜松 2018年8月10日 静岡新聞
浜松市は9日、同市北区都田町の6世紀前半の前方後円墳「郷ケ平6号墳」で出土した人物埴輪(はにわ)3点が全国的に例のない壺(つぼ)のような形状をしていたと発表した。市文化財課の担当者は「埴輪の製法の広がりをたどる上で貴重な発見」と説明する。
出典: www.at-s.com
上島・宮ノ浦遺跡 鞴の羽口 初出土 古墳時代前期 鍛冶に使用 2018年8月21日 愛媛新聞
上島町弓削佐島の宮ノ浦(みやんな)遺跡を調査している愛媛大考古学研究室と町教育委員会は20日、古墳時代前期中ごろ(4世紀)の鍛冶に使用された鞴(ふいご)の羽口(はぐち)が初出土したと発表した。鉄を鍛造して何らかの鉄器を作っていたとみられる。
古墳時代中後期の集落発見、竪穴住居密集 渡来人と日本人が一緒に暮らした証し 2018年8月22日 神戸新聞
兵庫県教育委員会は22日、姫路市網干区高田の前田遺跡と中筋遺跡で、古墳時代中後期の集落跡が見つかったと発表した。古墳中期(5世紀)の前田遺跡には竪穴住居跡が少なくとも12カ所あり、朝鮮半島から流入した渡来人の居住を示す須恵器も多く出土。県教委によると、同時期の竪穴住居がこれだけ密集して見つかるのは珍しいという。
4世紀中ごろから後半か 須賀川・団子山古墳に「周溝」確認 2018年8月28日 福島民友
須賀川市と福島大行政政策学類考古学研究室による、同市日照田の市指定史跡「団子山古墳」の発掘調査で、古墳の周囲を巡る「周溝」が確認された。市と同研究室は、周溝を基に同古墳の正確な規模など詳細を調べる。
飛鳥時代
明和・斎宮跡 塀跡など多数発見 25日、現地説明会 /三重 2018年8月22日 毎日新聞
斎宮歴史博物館が明和町竹川中垣内で進めている史跡斎宮跡第193次調査で、1300~1350年前の飛鳥・奈良時代の掘っ立て柱の塀跡や建物跡が多数見つかった。飛鳥時代の初期斎宮の中枢とされるすぐ東側にあたり、北東を角にした比較的規模が大きい計8基の塀跡がL字状に確認された。
出典: mainichi.jp
奈良時代
奈良時代の掘っ立て柱建物跡が出土 京都・城陽の「芝山遺跡」、北陸道沿いに整備か 2018年8月29日 産経新聞
京都府城陽市の芝山遺跡・芝山古墳群から、奈良時代の掘っ立て柱建物跡が出土し、府埋蔵文化財調査研究センターが28日発表した。東側には平城京(奈良)と北陸を結ぶ官道の北陸道があったとされ、官道沿いに建物が整備された可能性があるという。
出典: www.sankei.com
平安時代
平安京最大級の池は埋められていた! 藤原頼通邸「高陽院」…後鳥羽上皇の御所建設の可能性 京都・発掘調査で確認 2018年8月11日 産経新聞
世界遺産・平等院(京都府宇治市)を創建した摂政・関白、藤原頼通(よりみち)が平安時代の11世紀に建てた邸宅「高陽院(かやのいん)」に広がっていた平安京最大級の池が、約200年後に埋められていたことが分かった。民間会社・文化財サービス(京都市)が同市中京区で行っている発掘調査で確認。11日、地元住民向けに開催した説明会で公開された。埋め立て後に建物が建てられたとみられ、同社は「栄華を誇った高陽院の晩年を知る上で重要」としている。
出典: www.sankei.com
弓削島 荘園時代の塩田跡か 上島町教委 揚浜式?浜床確認 2018年8月17日 愛媛新聞
上島町教育委員会は16日までに、東寺(京都市)に塩を作り納めていた中世の荘園「弓削島荘」として知られる愛媛県の弓削島で、塩田の底面に当たる浜床(はまとこ)跡を確認した。東寺に伝わる古文書群「東寺百合文書」には「弓削島荘」に関する文書が多く残っているが、現地で裏付けとなる塩田跡は判明しておらず、町教委によると、揚浜式塩田とみられ、東寺の荘園だった時期の可能性が高い。今後、浜床の具体的な年代を特定する
古代建造物の『土台』発見! 湯川・勝常寺周辺の「堂後遺跡」 2018年8月18日 福島民友
湯川村の勝常寺薬師堂周辺で進む「堂後遺跡」の発掘調査で、古代の建造物の基壇(建造物の土台部分)の一部が見つかったことが17日、分かった。遺構の状態から基壇の側面を木の板で囲った「木製基壇」の可能性が高く、同寺開山期の寺院の様子を示す手がかりになると期待されている。
鎌倉時代
僧形の神像、全国初の出土 金沢・千田北遺跡 2018年8月25日 北國新聞
金沢市埋蔵文化財センターは24日、同市千田町の「千田北遺跡」で、鎌倉時代の僧形の神像が出土したと発表した。僧形の神像が遺跡から発掘されるのは全国初。経文が記された木簡なども見つかり、同センターは、遺跡の一部がかつて祖先の供養や祭祀(さいし)のための宗教的空間になっていた可能性が高いとしている。
戦国時代
安産祈願のお守り?犬形の土製品出土 南部・聖寿寺館跡/青森 2018年8月29日 時事通信社
青森県南部町は28日、戦国時代に北奥羽地方最大の勢力を誇った三戸南部氏が城館とした同町の史跡「聖寿寺館跡(しょうじゅじたてあと)」で、16世紀前半に作られたとみられる犬形土製品が、北東北地方で初めて出土したと発表した。安産祈願のお守りだったと考えられ、当時国の中心だった近畿地方から持ち込まれた可能性が高いという。所有できたのは有力な武将などに限られ、三戸南部氏の中央との交流や権威の高さを裏付ける発見となった。
出典: this.kiji.is
安土桃山時代
信長に仕える前の光秀、近江で活動…文書発見 2018年8月3日 読売新聞
戦国武将、明智光秀が織田信長に仕える永禄11年(1568年)以前に、近江・湖西地方(滋賀県)で活動していたことを示す文書が見つかった。光秀の動静を示す確実な史料としては最古のもので、当時から足利将軍家との結びつきがあったことをうかがわせる内容だ。
虎退治の加藤清正、虎皮もらう 京都の豪商への礼状発見 2018年8月28日 京都新聞
虎退治の逸話で知られる戦国武将の加藤清正が、虎皮の贈り物を受けたことへの感謝をつづった書状が、中近世の金工師で豪商だった後藤家の伝来文書の中から見つかった。京都文化博物館(京都市中京区)が寄贈を受けた文書群に含まれていた。同博物館は「虎狩りをした清正が、虎皮を受け取る側で登場している。関連は不明だが、調査を進めたい」としている。
秀吉が埋めた堀跡か 京都改造の一端示す遺構発見 2018年8月29日 京都新聞
京都市中京区錦小路通烏丸東入ルの発掘調査で、室町時代末期ごろの堀跡が見つかり、関西文化財調査会(上京区)が29日、発表した。堀は寺院を囲っていたとみられ、豊臣秀吉が洛中の寺院を強制移転させた際に埋められた可能性がある。天下人となった秀吉による京都改造の一端を示す遺構という。場所は、平安京左京四条三坊十四町に当たる駐車場の建設予定地(約520平方メートル)で、7月から発掘調査を進めている。
江戸時代
江戸中期の押し花発見=国内最古2年更新-長野 2018年8月3日 時事通信
長野県の諏訪市博物館に昨年10月、寄贈されたサクラの押し花などが、江戸時代中期の1719年に作られた国内最古のものであることが3日、国立科学博物館の調査で分かった。これまでに見つかったものより2年古いという。 寄贈したのは、諏訪市内の旧高島藩士渋江家の子孫で、サクラやウメの押し花、マツやクスノキの押し葉などが25組の和紙に包まれていた。
出典: www.jiji.com
篤姫の嫁入り道中、お手洗い新調…大坂滞在記録 2018年8月7日 読売新聞
蔵からお宝、皇族ゆかりの神輿発見 京都・大原 2018年8月11日 京都新聞
皇族出身の僧が住職を務めた「梶井門跡」(現在の三千院)が寄付したとみられる江戸時代の神輿(みこし)がこのほど、京都市左京区で見つかった。屋根などに菊の御紋が入り、皇室との深い関わりを裏付ける。同区大原の古文書を研究する住民団体が史料をひもとき、古老の証言を聞きつつ、大原の神社の蔵で保管されているのを発見した。文献でルーツなどを探っており、いまは途絶えている神輿を用いた祭礼の復活も目指す。
福山・今津宿本陣、薩摩藩と深い関係 河本家文書で判明 2018年8月18日 産経新聞
江戸時代の福山藩今津宿(福山市今津町)で本陣を営んでいた河本家に伝わる古文書の一部を市民らの歴史研究グループが判読し、「今津宿本陣 河本家文書解読集」にまとめた。河本家が薩摩藩に3千両の借金を申し込んだ文書の写しなどもあり、単なる「参勤交代時の定宿」にとどまらない関係性の深さがうかがわれるとしている。
出典: www.sankei.com
徳川埋蔵印、150年ぶり発見 通商条約批准書に押印 2018年8月20日 朝日新聞
1858年に結ばれた日米修好通商条約などに江戸幕府14代将軍徳川家茂の署名と共に押された幕府の公印「経文緯武(けいぶんいぶ)」。この印章が約150年ぶりに、東京都内の徳川宗家の蔵で見つかった。幕府が開国をへて欧米との通商関係へと踏み込んだ歴史的な瞬間を刻んだ、その実物だ。
出典: www.asahi.com
天狗党が草雲に軍資金相談か 日記に面会の様子 足利 2018年8月23日 下野新聞
水戸藩の尊皇攘夷(そんのうじょうい)派で組織した「水戸天狗(てんぐ)党」のメンバーが、足利ゆかりの文人画家田崎草雲(たざきそううん)に軍資金の相談をしたとみられることが分かった。天狗党の浪士と面会する様子を描いた草雲の日記を、市文化財専門委員会委員長の菊地卓(きくちたかし)さん(74)が見つけた。菊地さんは「幕末史の一端を記した貴重な資料」と話している。
石垣の高さ3倍だった 金沢城・玉泉院丸庭園 調査研が発掘 2018年8月24日 北國新聞
金沢城公園玉泉院丸庭園の南東部にある石垣の高さが、作庭当初は現在の3倍超の7・5メートルだったことが23日までの県金沢城調査研究所の発掘調査で分かった。地中に埋まっていた石垣の基礎部分は隙間の多い粗加工石積(あらかこういしづみ)だったことから、かつては切石積(きりいしづみ)ではなかったことも判明。切石積に代表される意匠性の高い「見せる石垣」に積み直したのは17世紀後半との見方が強まった。
吉田松陰と弟子の往復書簡発見 徳川光圀の書勧める 2018年8月28日 毎日新聞
山口県萩市の松陰神社は28日、幕末の思想家・吉田松陰(1830~59年)が、松下村塾の教え子だった長州藩士、前原一誠(まえばらいっせい)(34~76年)とやり取りした往復書簡が見つかったと発表した。松陰は、中国の「四書」や徳川光圀らによる書物など読むべき書物を列挙して前原に伝えており、維新の志士たちを育てた松陰の指導者としての姿が浮かび上がる。
出典: mainichi.jp
真の池田光政か 新たな肖像画発見 岡山・常住寺所蔵、現存最古 2018年8月28日 山陽新聞
岡山藩主池田家ゆかりの常住寺(岡山市中区門田文化町)で28日までに、初代藩主で名君の誉れ高い池田光政(1609~82年)の新たな肖像画が見つかった。これまで知られていた容貌と輪郭や目鼻立ちが異なり、研究者は「存命中の肖像画が残っていない光政の真の顔を考える上で貴重」としている。
出典: www.sanyonews.jp
伊能忠敬の随行者の測量道具か 福山で初公開、杖先羅針や分度器 2018年8月28日 山陽新聞
江戸時代に初の実測日本地図を作った伊能忠敬(1745~1818年)に随行した福山市神辺町出身の松井沢次(1800~53年)が所有したとされる測量道具などが、菅茶山記念館(同町新湯野)で初公開されている。10月8日まで。松井は庄屋の次男に生まれ、伊能が九州東南地域などを記録した第7次測量(09~11年)に隊員のお供として参加。昨年、松井の親戚筋に当たる同町東中条の民家の蔵から測量道具とみられる物が見つかり、同記念館が寄託を受けた
出典: www.sanyonews.jp
幕末の倒幕運動「天狗党の乱」、地域有力者が情報収集 「和田峠の戦い」で偽情報も 滋賀・長浜で聞き書き資料発見 2018年8月29日 産経新聞
幕末の元治元(1864)年、水戸藩浪士が起こした倒幕運動「天狗(てんぐ)党の乱」で、鎮圧に向かった幕府軍が敗れた和田峠の戦い(長野県)の様子を滋賀県長浜市高月町西野で庄屋を務めていた人物が県内の宿場町で聞き書きした資料が、同地区の子孫の家で見つかった。当時、天狗党は京都を目指して進軍中。県内の通過も予想されたことから、地域の有力者が積極的に情報収集していたことがうかがえるという。
出典: www.sankei.com
※天狗党は檄文に「上は天朝に報じ奉り、下は幕府を補翼し、神州の威稜万国に輝き候様致し度」としており、急進的な尊王攘夷思想であるものの、討幕をめざしていた訳ではなく「討幕運動」ではないという意見が多くtweetされました。
明治時代
龍馬撮影の写真館で、明治初期のガラス原板発見 2018年8月3日 読売新聞
坂本龍馬の立像写真などを撮影した、長崎の上野彦馬の写真館「上野撮影局」で1868年に撮られたガラス原板(縦10・8センチ、横7・8センチ、厚さ2ミリ)が、滋賀県で見つかった。
「会津武士」逆風に対処 子孫宅から手紙…藩復活時、台所事情示す 2018年8月10日 福島民友新聞
150年前の会津藩消滅時に家老などを務め、藩再興に奔走した梶原平馬(かじわらへいま)と山川浩(やまかわひろし)、さらに会津藩士の子で後の陸軍大将、柴五郎(しばごろう)の3人がそれぞれ明治以降、会津在住の元藩士、町野主水(まちのもんど)に出した手紙計3通が、東京都の町野の曽孫宅で見つかった。文面を読み解いた直木賞作家の中村彰彦さん(69)によると、旧会津藩が斗南藩として復活する1870(明治3)年ごろの藩士たちの動向や経済事情に触れた梶原の手紙をはじめ、いずれも明治、大正の「会津武士」の生活ぶりや人柄が分かる貴重な史料という。
正岡子規の新出句発見 正月、福引で弟子と競作 2018年8月22日 共同通信社
俳人の正岡子規(1867~1902年)の新出句が見つかったと、東京の子規庵保存会が22日発表した。1897年の正月、弟子たちと共に福引を楽しみながら即興で詠んだ句をまとめた和とじの小冊子に記されていた。
出典: this.kiji.is
また、来月も心躍るような新たな発見がありますように…。