平成30年11月も各地からたくさんの新たな発見の情報が届きました。忠臣蔵の討ち入りの日にちを目前に控えての、大石内蔵助の遺書が現存していたことがわかったり、2020年大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公明智光秀による本能寺の変に関係する織田家筆頭柴田勝家の動向を知る手掛かりになる書状などが発見されています。
そのほか、特に今月は縄文時代の発見も多くありました。中でもクルミを貯蔵していた籠とクルミがそのまま出てきたのには驚きました。それでは、さっそくダイジェストで新発見を振り返ります。(2018年12月5日最終更新)
縄文時代
縄文前期の赤色顔料出土 沖縄、サキタリ洞遺跡 2018年11月7日 産経新聞
沖縄県南城市のサキタリ洞遺跡で、約5500年前(縄文時代前期)とみられる赤色顔料が付着した砂岩が出土し、沖縄県立博物館・美術館が7日、発表した。九州では約1万3千年前から赤色顔料の利用が確認されており、山崎真治主任は「九州の縄文文化の影響を受けた可能性がある。双方の交流を知る発見だ」としている。
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縄文人、サメ食べてた? 松江の遺跡から歯156本出土 2018年11月17日 朝日新聞
島根県埋蔵文化財調査センターは、大橋川の拡幅工事に伴う松江市朝酌町のシコノ谷遺跡の発掘調査の結果を公表した。縄文時代前期~晩期(7千~2600年前)の地層から、1・2~2・2センチのサメの歯156本などが出土したという。担当者は「サメを食料にしていたと考えられ、当時の食生活を考える上での貴重な発見」と話す。18日に現地説明会を開く。
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縄文土器に大量の「米食い虫」=北海道・館崎遺跡から出土-熊本大 2018年11月23日 時事通信
北海道福島町にある縄文時代の館崎遺跡から出土した土器に、「米食い虫」の異名を持つコクゾウムシが推定で約500匹練り込まれていたことが分かった。熊本大の小畑弘己教授らが発見し、23日までに英考古学誌ジャーナル・オブ・アーキオロジカル・サイエンス電子版に発表した。
出典: www.jiji.com
クルミ大量に詰まった編みかご、日本初の出土 縄文時代 2018年11月29日 茨城新聞
福島県南相馬市の鷺内(さぎうち)遺跡で、縄文時代晩期中ごろ(約3千年前)の貯蔵穴から、クルミが大量に詰まった編みかごが見つかった。同市教育委員会が29日、発表した。市教委や識者によると、クルミが大量に編みかごに詰まった状態で見つかるのは全国で初めて。当時の木の実の保管状況がわかる貴重な発見という。
出典: www.asahi.com
木の実加工 縄文の水場見つかる 東吾妻・唐堀遺跡 2018年11月30日 上毛新聞
◎全長30メートルの遺構県内初、完全な形 群馬県東吾妻町三島の唐堀(からほり)遺跡を発掘調査中の県埋蔵文化財調査事業団は29日、縄文時代後期(4400~3千年前)に食料となる木の実の加工などに使われた水場遺構が見つかったと発表した。湧水点から植物片の捨て場まで完全な形で発見されるのは県内初。遺構からはトチの皮などが大量に出土しており、加工の過程や技術が分かる貴重な発見と評価されている。
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弥生時代
邪馬台国時代のすずり5個出土 交易でも文字使用か 福岡市・西新町遺跡 2018年11月23日 西日本新聞
邪馬台国の時期と重なる古墳時代前期(3世紀半ば~後半)に使用されたとみられるすずり5個が福岡市早良区の西新町遺跡から出土していたことが、柳田康雄・国学院大客員教授の調査で分かった。一つの遺跡から5個確認されたのは最多。同遺跡は王都のような政治的拠点ではなく、交易拠点だったと考えられており、まとまった数のすずりは、古代社会の経済活動でも広く文字が使われた可能性を示している。
古墳時代
造山古墳の後円部に大量の葺石 岡山市教委「築造過程解明に成果」 2018年11月8日 山陽新聞
岡山市教委が発掘調査を進める全国第4位の規模の前方後円墳・造山古墳(同市北区新庄下)で7日までに、後円部の墳丘を覆う大量の葺石(ふきいし)が出土した。墳丘の斜面全体に葺かれていた築造当初の状況を保っているとみられる。築造時に地盤を整えたと推測される造成土なども見つかり、市教委文化財課は「墳丘の本来の姿や築造過程の解明につながる」としている。
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状態良好の埴輪出土 浜松・天竜区の光明山古墳 2018年11月22日 静岡新聞
浜松市は21日、2018年度に初の発掘調査を始めた天竜区山東の前方後円墳「光明山古墳」(静岡県指定史跡)で保存状態が良好な埴輪(はにわ)が見つかったと発表した。古墳の全長は従来の公表数値より1メートル長い83メートルと判明し、墓に眠る地域の統治者は内陸交通の発展に寄与した豪族の可能性があるという。
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古代史 大山古墳で石敷きと埴輪確認 外部機関と初の発掘 2018年11月22日 毎日新聞
三重の濠(ほり)を持つ日本最大の前方後円墳「大山(だいせん)古墳」(仁徳天皇陵)=堺市堺区、全長約500メートル=について、宮内庁は22日、堺市と共同発掘している現場を初めて報道陣と研究者に公開した。最も内側の堤の南東部に5世紀の埴輪(はにわ)列があったほか、石敷きが初めて確認された。専門家は「知られざる大王墓の姿が見えてきた」と評価している。
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国内最古の大壁建物跡か、奈良 渡来人の定住早まる可能性 2018年11月27日 共同通信
奈良県高取町教育委員会は27日、同町の市尾カンデ遺跡で4世紀末から5世紀初めに渡来人が建てたとみられる朝鮮半島式の大壁建物跡が16棟分見つかったと発表した。国内最古とみられ、これまで5世紀後半以降とされていた渡来人の本格的な定住時期が大幅に早まる可能性がある。
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つくば・上境作ノ内遺跡 6、7世紀の古墳4基 鉄製小刀や矢尻 完全な形の石棺出土 2018年11月29日 茨城新聞
つくば市上境地区の上境作ノ内(かみざかいさくのうち)遺跡で、古墳時代後期(6世紀後半〜7世紀前半)の古墳4基が見つかり、28日、県教育財団が発表した。前方後円墳と方墳で、一部は石棺が完全な形で残されており、鉄製の小刀や矢尻の副葬品も出土した。同遺跡では今回を含め計10基の古墳が確認され、古墳の形の移り変わりも分かる。
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兵庫の古墳群で石製腕輪 小型銅鏡や鉄刀も 2018年11月29日 共同通信
兵庫県教育委員会は29日、同県豊岡市の耳谷草山古墳群から石製腕輪「石釧」が出土したと発表した。直径約7センチで、表面には線が細かく刻まれており、県教委は「これほど精緻なものは珍しい」としている。
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飛鳥時代
法隆寺と同じ軒瓦出土、関連寺院造営か 滋賀、飛鳥時代の遺跡 2018年11月1日 京都新聞
滋賀県文化財保護協会は1日、縄文時代から中世にかけての集落遺跡「蜂屋遺跡」(栗東市蜂屋)で新たに建物の溝跡が見つかり、法隆寺とその周辺以外では見られない軒瓦が出土した、と発表した。飛鳥時代後半(7世紀後半)の軒瓦で、「法隆寺と強い関連があった寺院がこの土地で造営された有力な手掛かり」といい、専門家は当時では有数の文化拠点があった可能性を指摘している。
国宝当麻寺西塔に飛鳥期舎利容器 最古級、奈良 2018年11月14日 共同通信
奈良国立博物館(奈良市)などは14日、奈良県葛城市の当麻寺にある国宝西塔から飛鳥時代後期に作られたとみられる入れ子式の舎利容器が見つかったと発表した。舎利容器としては最古級で、金や銀を使った3重容器としては奈良県斑鳩町の法隆寺と大津市にあった崇福寺跡などから見つかったものを含め4例目。
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奈良時代
奈良、大安寺を六条大路が貫く 側溝跡発見で論争決着 2018年11月7日 共同通信
奈良市埋蔵文化財調査センターは7日、南都七大寺の一つとして知られる大安寺(奈良市)の旧境内で、平城京の六条大路の側溝跡が見つかったと発表した。大安寺旧境内を大路が横切っていたかどうかの論争が約30年間続いていたが、今回の調査結果は終止符を打つ成果という。
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東大寺、創建の伝統残す?東塔回廊、南だけ複廊で再建 2018年11月8日 共同通信
世界遺産・東大寺(奈良市)の東塔院跡で塔を囲う回廊は、奈良時代には4面とも通路が2本の「複廊」だったが、鎌倉時代は南面のみが複廊で、他の面は通路が1本の「単廊」で再建していたことが分かり、東大寺などでつくる発掘調査団が8日、発表した。
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平安時代
松山の正尺池発掘調査で中国産磁器や木樋出土 中世伊予の豪族・河野氏と関連か 2018年11月10日 産経新聞
松山市埋蔵文化財センター(松山市南斎院町)は、同市河野別府の正尺(しょうじゃく)池の発掘調査で、中国産磁器や木製の樋(暗渠)、石垣などが出土したと発表した。
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塩谷「佐貫石仏」発掘調査で平安時代の土器片出土 2018年11月24日 産経新聞
塩谷町佐貫にある国指定史跡の磨崖仏(まがいぶつ)「佐貫石仏」(佐貫観音)で進められている発掘調査で23日、とちぎ未来づくり財団埋蔵文化財センター(下野市)による現地説明会が開かれた。今年度の調査では、石仏が彫られたとされる平安時代の土器片(土師器(はじき)坏(つき))が出土している。伝承を裏付ける可能性があり、石仏制作の時期の研究を進める上で貴重な史料となりそうだ。
出典: www.sankei.com
鎌倉時代
倉吉・山ノ下遺跡に領主クラスの屋敷か 平安末から鎌倉の大型建物跡出土 2018年11月10日 産経新聞
国道313号の改良工事に伴い発掘調査している鳥取県倉吉市の「山ノ下遺跡」で、11世紀後半(平安時代末期)~12世紀(鎌倉時代)の掘っ立て柱建物跡5棟などが見つかったと県教育文化財団が発表した。同時期では県内最大級の建物が含まれ、同財団は「地域を治めた領主クラスの屋敷跡の可能性がある」としている。
出典: www.sankei.com
伊達氏の「梁川」拠点…鎌倉初期が有力 長年の論争に終止符か 2018年11月22日 福島民友
戦国時代の武将、伊達政宗などで知られる伊達氏が13世紀中頃(鎌倉時代初期)に、現在の伊達市梁川町に拠点を置いた可能性が高いことが伊達市教委の調査で分かった。伊達氏は同市保原町から拠点を移した当時、梁川八幡宮を創建しており、創建が鎌倉時代と判明。創建時期を巡って平安時代後期から室町時代まで諸説あったが、今回の調査で長年にわたる”論争”に終止符が打たれそうだ。
室町時代
室町時代の火葬跡遺構出土 高僧か商人の墓か 天龍寺近くで京都の民間団体調査 2018年11月6日 産経新聞
室町時代の15世紀中ごろに木棺に入った遺体を火葬してそのまま埋葬した墓の遺構が、京都市右京区の世界遺産・天龍寺に近い宅地造成地から出土した。調査した民間団体「関西文化財調査会」(同市)によると、この時代の埋葬・火葬方法が具体的に解明できる遺構の出土は珍しく、天龍寺の高僧といった関係者や商人ら富裕層の墓の可能性があるとみている。
出典: www.sankei.com
金閣寺に謎、粘土パックの建物跡 2018年11月22日 産経新聞
室町幕府第3代将軍・足利義満が築いた金閣寺(鹿苑寺=ろくおんじ、京都市北区)で、池に挟まれて建っていた約30平方メートルの建物が解体直後、全体を粘土で覆い隠すように「パック」されていたことが、京都市埋蔵文化財研究所の調査で分かった。同寺の調査で建物跡がこのような形で出土したケースは初めてで、義満の息子で4代将軍の足利義持(よしもち)が実行したとみられる。親子間には確執があったとされるが、謎の遺構は何を示すのだろうか。(園田和洋)
出典: www.iza.ne.jp
多気北畠氏遺跡の金国寺跡、急斜面を石積みで造成 津市教委、遺構など発見 2018年11月29日 産経新聞
国史跡の多気北畠氏城館跡などを含む多気北畠氏遺跡(津市美杉町多気)にある金国寺跡で、15世紀末から16世紀初頭にかけての石積み遺構と近世の土器などが見つかり、津市教委が発表した。「中世の都市で寺院がどのような形で造営され、どのような役割を果たしていたのかを考える上で貴重な発見」という。
出典: www.sankei.com
戦国時代
「当時としては大規模」 上富田町の坂本付城跡を調査 2018年11月9日 紀伊民報
和歌山県上富田町市ノ瀬にある中世豪族の館跡「坂本付城(つけじろ)跡」の内堀が、南北約100メートル、東西約70メートルの規模であることが、町と町教育委員会の発掘調査で明らかになった。関係者は「外堀を含めた城の範囲は南北約160メートルと推測されており、当時としては大規模な館」と話している。11日に一般向けの現地説明会を開く。
出典: www.agara.co.jp
桜川・真壁城跡 庭園に導く園路確認 小川見立てた排水溝か 2018年11月29日 茨城新聞
桜川市真壁町古城の国指定史跡・真壁城跡の本年度発掘調査で、市教育委員会は28日、中城庭園跡に導く園路を確認したと発表した。園路周辺では調理場や植木の跡などもあり、市教委は「どのように最上のもてなしを行う庭園に導いたのかが明らかになりつつある」としている。12月1日に現地説明会を開き、一般公開する。
出典: ibarakinews.jp
安土桃山時代
大津教委 坂本城の範囲狭く? 発掘調査で痕跡確認できず 2018年11月14日 毎日新聞
大津市教委は14日、戦国武将・明智光秀が築城した坂本城跡の「三の丸」南西部と推定される箇所(同市下阪本3、約825平方メートル)を発掘調査した結果、城の痕跡は確認できなかったと発表した。これまでの発掘結果や地名などから、城は本丸とみられる跡が見つかった琵琶湖岸から西約300メートルのJR湖西線付近までと推定されていたが、範囲が狭くなる可能性がある。
出典: mainichi.jp
発掘 信長の屋敷跡か 小牧山城で礎石見つかる 2018年11月14日 毎日新聞
織田信長が築城したとされる愛知県小牧市の小牧山城の発掘調査で、同市教育委員会は14日、山頂の天守(主郭)近くに屋敷建物があったことを示す礎石が見つかったと発表した。信長か身内の居宅だった可能性がある。天守近くに居宅があるのは近世城郭の特徴の一つで、市教委は「小牧山城が(岐阜城や安土城に先立つ)近世城郭のルーツとの見方が一層強まった」としている。
出典: mainichi.jp
勝家「本能寺の変」直後の書状 光秀の動向つかめず、討伐で後れ 2018年11月16日 共同通信
織田信長の重臣、柴田勝家が、明智光秀に信長が討たれた「本能寺の変」の8日後に、織田方の武将に宛てた直筆の書状が16日までに、新潟県新発田市で見つかった。勝家は光秀の動向を把握しておらず、調査した三重大の藤田達生教授は「勝家が光秀討伐で後れを取った理由の解明につながる貴重な発見」としている。
出典: this.kiji.is
16世紀のキリシタン信仰画? 神奈川の記念館 2018年11月19日 朝日新聞
神奈川県大磯町の「澤田美喜(みき)記念館」で収蔵されていた出所不明のキリシタンの信仰画が、16世紀末の安土桃山期の作品である可能性が高いことがわかった。当時の信仰画は残っているものがごくわずかで、国内に信者が増えた時期の信仰の姿を伝える貴重な資料とみられる。
出典: www.asahi.com
岐阜城で鉄の矢尻発掘、“関ヶ原”以前の激戦ほうふつ 岐阜市教委 2018年11月27日 中京テレビ
岐阜城の発掘調査で、弓矢の先につける鉄の矢尻が発見されました。岐阜市教育委員会によると、この矢尻は「関ヶ原の戦い」の前哨戦となった「岐阜城の戦い」で使われた可能性があり、岐阜城を舞台に激しい攻防が繰り広げられたことが想像されるといいます。また、四段積みの石垣が新たに見つかり、市教委の担当者によると、信長が城主だったころの石垣だということです。
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江戸時代
大石内蔵助の「遺書」現存 討ち入り前日、親戚へ心情 2018年11月1日 徳島新聞
「忠臣蔵」で知られる赤穂藩家老、大石内蔵助が赤穂事件のあだ討ちを決意した心情をつづった、徳島藩の親戚宛ての手紙が現存していることが、徳島市の徳島城博物館の調査で分かった。吉良上野介邸への討ち入り前日に書いたもので、遺書に当たる。60年以上前に公開された記録があるが、その後は所在が分からなくなっていた。
出典: www.topics.or.jp
山形城の「屏風折れ土塀」延伸部分発見 計400メートルの礎石 2018年11月3日 産経新聞
国指定史跡山形城跡を発掘調査している山形市教委は3日開催した現地説明会で、城跡北東部の二ノ丸土塁から新たに屏風(びょうぶ)折れ土塀の礎石が見つかったと説明した。現存遺構では全国初の発見になった昨年に続く発見で、市教委の斎藤仁主幹は「この礎石の上に屏風折れ土塀があったとされ、手薄だった軍備を補強するために作られたのでは」と推察する。
出典: www.sankei.com
大阪・千早赤阪村 楠木正成関連の旧跡記す 最古級の鳥瞰図見つかる 2018年11月13日 産経新聞
大阪府と奈良県にまたがる金剛山を背景に、南北朝時代の武将・楠木正成の千早城(同府千早赤阪村)などを配した最古級の鳥瞰図(ちょうかんず)が見つかった。同様の構図の絵図は後世に多く描かれており、これらのモデルとなった可能性が高い。大阪大谷大博物館(同府富田林市)で21日まで展示されている。
出典: www.sankei.com
国内最古級の地図見つかる 滋賀・江戸前期の宿場町「醒井宿」 2018年11月17日 産経新聞
旧中山道の宿場町「醒井宿(さめがいしゅく)」(滋賀県米原市醒井)を描いた江戸時代前期の絵図が見つかり、米原市の柏原宿歴史館で開催中の企画展「絵図を読む」で初公開されている。宿場町の絵図では国内最古級といい、専門家は「中山道の宿駅制ができた当初の宿場町の様子がうかがわれる」としている。
出典: www.sankei.com
<仙台城跡>造酒屋敷跡近くに登城路 2018年11月23日 河北新報
仙台市教委は22日、青葉区の仙台城跡内の造酒(ぞうしゅ)屋敷跡近くで、江戸時代に登城(とじょう)路として使用されていた可能性のある路面が確認されたと発表した。 城内の醸造施設である造酒屋敷跡の北側で、堅く締まった路面が初めて確認された。現在の地表から1.2メートル掘り下げた場所で発見された。江戸時代に本丸に向かう登城路として使われた可能性が高いという。
出典: www.kahoku.co.jp
伊賀忍者、師弟の誓約書 民家で古文書見つかる 2018年11月7日 中日新聞
三重県伊賀市の民家から、江戸時代に忍者の師弟が交わした「誓約書」など古文書百三十二点が見つかった。忍術に使う武器を開発したら師匠への報告を約束させ、盗みへの悪用を禁ずるなど、当時の師弟関係がうかがえる内容。資料を分析した三重大国際忍者研究センターの高尾善希(よしき)准教授(近世日本史)は「忍術書がどのような使われ方をしたのかが分かる貴重な史料だ」と話している。
明治時代
田中正造直筆の書と写真発見 さくらの旧家から新史料、企画展で展示へ 2018年11月10日 下野新聞
足尾銅山鉱毒事件の被災民救済に奔走した田中正造(たなかしょうぞう)(1841~1913年)の直筆の書と肖像写真が、さくら市狭間田の旧家で発見された。未発見の貴重な資料となる可能性がある。専門家によると、この旧家は鉱毒事件の被害を広く訴えたキリスト教思想家内村鑑三(うちむらかんぞう)(1861~1930年)と深い親交があり、内村と共に正造を支援した旧家に書と写真がもたらされたとみられる。
大阪 「幻の木津川灯台」の写真 埼玉の男性が発見 2018年11月16日 毎日新聞
明治初期に大阪にあった西洋式灯台3基の中で唯一写真がなく、「幻の灯台」と呼ばれていた木津川灯台(大阪市住之江区)を写した絵はがきが見つかった。埼玉県の男性が今月初旬、海外のオンラインショップで購入。100年以上前に発行されたものとみられ、海上保安庁大阪海上保安監部が、灯台の形状などから木津川灯台と認めた。
出典: mainichi.jp
多くの発見の積み重ねから明らかになる新事実、いつもわくわくします。また来月も心躍るような新たな発見がありますように…。