【幕末】江戸の宝くじ「富籤」と貧乏旗本の話

投稿者: | 2018年12月29日

年末には年末ジャンボ宝くじ購入している方もいらっしゃるかと思います。今は、前後賞と合わせて10億円が当たるかもしれないという正に夢のくじとなっています。江戸時代にも夢を求めて人々は富籤(とみくじ)を買い求めていました。今回紹介するのは、富籤で千両が当たった貧乏旗本のお話です。(2018年12月29日最終更新)

人情噺「湯島の富」

文政五年師走25日。蔵前の通りを商家の小僧が走っていると若い衆にどんとぶつかってしまう。小僧が懐をみると主人から使いに頼まれた一両二分がなくなっている。スリだと気がつき慌てて「泥棒!」と追いかけるも今度は、札差から出てきた若い侍とぶつかり倒れてしまう。ぶつかった無礼を詫びながら泣く泣く小僧が訳を話すと、小僧をかわいそうに思った侍は一両二分を渡して立ち去った。

若い侍は、井上半次郎という無役の旗本であった。生活は苦しく妻と内職をして暮らしをたてている。正月くらいは子どもに晴着を着させてあげたいと蔵前に行き、給金を前借したところで小僧にぶつかり、なけなしの金を小僧に渡したのであった。

さて正月をどう越すか・・。思案しながら湯島天神に通りかかると、多くの人が天神様の富くじを買い求めている。「そうか・・今日は富くじの日か・・。正月を越せるくらいの当たるとよいなぁよし求めよう」。半次郎は一枚を購入し、天神様におまいりして家に戻った。

家に帰り妻にことの顛末を話すと、妻は「良いことをなされました、良いことがこちらにも巡ってくるでしょう」と半次郎を元気づけた。

数日後、半次郎は富くじが当たっていることを知る。それも一番の千両である。「当たった!当たった!」これで贅沢な暮らしができると大喜び。しかし妻は、「そのような大金で贅沢な暮らしができたとしても子どもは立派には育ちません。まして、小身とはいえども、我が家は武家です。そのような浅ましいことはするべきではありません」と富くじを捨てるように言う。浮かれていてことを恥じた半次郎は、富くじを行灯の火にくべて焼き、いつもよりも内職に励んで無事に年を越した。

正月も幾日か過ぎたころ、江戸の市中でうわさが立ち始める。どうやら井上半次郎が一番をひいたらしいこと。どうして名乗り出ないかの顛末までがもれ聞こえている。半次郎が浮かれて「当たった!当たった!」という声が大きく、同心の御用聞きらがその後の顛末までも聞きつけていたのだ。 

この話は、御用聞きから同心へ、同心から町奉行へ、さらには老中までもが知ることとなった。このような心掛けの者を埋もれてしまうのは惜しいと半次郎は、御小人目付、八十石へ、さらには、吟味与力、二百石取りとなり、その後も誠実に仕事を勤める。 

天保六年十月の中頃。半次郎が船待ちをしていると、着いた船に乗っていた商人が小首をかしげる。この男こそ一人前になったあのときの小僧だった。小僧は「近江屋幸次郎」という立派な商家の主となっていた。再会を喜び合い、近江屋の座敷に招かれた半次郎。幸次郎は、「あのときあなた様のお助けがなけれな、厳しい主人に放逐され今のわたしはなかったかもしれません。あなたこそ大恩人です。」と語った。それからもふたりは親睦を深め、幸次郎にはまだ妻がなかったので、半次郎の娘が嫁ぎ、井上半次郎と近江屋幸次郎は親子となって、長く幸せに暮らした。

井上半次郎=井上備前守?

このお話には、尾ひれがつくことがあります。なんと半次郎がさらに出世を重ね、水野忠邦により引き立てられ、天保の改革で活躍した勘定奉行井上備前守となったというお話です。

井上備前守は、勘定奉行として「上知令」を起案した人物とされています。さらに印旛沼開拓にもかかわっています。上知令は、江戸城より十里四方(京阪もこれに倣う)を幕府領とするべく、旗本、大名の所領を他の地と交換することを基本としていました。印旛沼は、銚子沖から印旛沼を経由して品川までを堀通し、大船を江戸湾以外から江戸に入れられるようにする事業でした。

いずれも、迫りくる外国勢力から、江戸や京阪の重要地を守るため、そして外国船により江戸湾を封鎖されたときにも江戸に食料等を搬入できるようにするための政策でしたが、先祖伝来の所領を没収されたり、多額の労役を課されたりで各方面からの大反対運動が起こり、水野忠邦失脚の原因となったとされています。

忠邦失脚の数日前に、井上備前守にも天保4年閏9月6日、将軍より次のようなお達しが下ります。

「井上備前守事、思召有之御役御免、寄合被迎付(将軍の思し召しにより役を免じ、寄合を仰せ付ける)

国難に知恵を使って立ち向かい、人柄も誠実であったされる備前守。同情を禁じえません。

人情噺「湯島の富」には、モデルがあったものと思います。お話の時代と天保の改革の時期がかさなり、出世を重ねた「井上氏」という共通点から井上半次郎=井上備前守というお話ができたものと思います。やはり、人情噺のとおり「半次郎の娘が嫁ぎ、井上半次郎と近江屋幸次郎は親子となって、長く幸せに暮らした。」まででおしまいというのが一番良いように思います。皆さんはどのようにお感じになりますか?