平成30年12月も各地からたくさんの新たな発見の情報が届きました。平成30年は、戊辰戦争、明治維新から150年、そして大河ドラマでは西郷どんが放送されたこともあり、一年を通してそれに関連する新発見が多く、新たな事実も知ることができました。最後の月となった今月も、西郷隆盛の妻の呼び名が明らかになり、大久保利通の政府運営の苦心がわかる史料の発見もありました。わたしは、篤姫の袱紗(ふくさ)の華やかさに目を奪われました。来年もわくわくするような新たな発見がありますように…。それでは、さっそくダイジェストで新発見を振り返ります。(2018年12月31日最終更新)
縄文時代
長野産黒曜石の矢尻、北海道で出土=最遠方650キロ、縄文人交流裏付け 2018年12月14日 時事通信
北海道埋蔵文化財センターは14日、木古内町の幸連5遺跡で、約4500年前(縄文時代中期)の竪穴式住居跡から出土した矢尻が、長野県和田峠周辺の「和田エリア」の黒曜石から作られたものだと発表した。直線距離で約650キロ離れており、縄文人が津軽海峡を越えて交流していたことを裏付けるという。
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弥生時代
筋骨隆々の弥生人? 佐世保市の高島「宮の本遺跡」 太い上腕の人骨出土 [長崎県] 2018年12月15日 西日本新聞
筋骨隆々の弥生人の集団が西北九州にいた-。佐世保市・高島の「宮の本遺跡」でこの夏、上腕骨が一般的な弥生人よりも一回り太い、約2千年前の人骨が出土した。人類学者によると、西北九州の離島で見つかった弥生人骨には、こうした特徴があるという。「弥生文化=農耕社会」と思われがちだが、高島の弥生人は異なる暮らしをしていたようだ。
古墳時代
古墳時代の短甲型紙 新たに5種類確認 2018年12月8日 産経新聞
奈良や宮崎で出土した古墳時代の短(たん)甲(こう)(鉄製胴(どう)甲(よろい))を橿原考古学研究所付属博物館(奈良県橿原市)が3次元計測した結果、製作時に「型紙」(設計図)を使用していたとみられることが分かり、同館の吉村和昭学芸課長らの研究グループが7日発表した。大きさと形状が同一の部材が新たに5種類確認されたといい、同館は8~23日に研究資料を展示する。
出典: www.sankei.com
古墳時代の地中梁、鳥取で 軟弱地盤に基礎、技術確立 2018年12月15日 朝日新聞
鳥取市の弥生~古墳時代の集落遺跡、松原田中(まつばらたなか)遺跡で、高床倉庫の基礎を補強するための古墳時代前期(3世紀後半ごろ)とみられる「地中梁(ちちゅうばり)」が、平行して2本みつかっていたことが分かった。調査した鳥取県埋蔵文化財センターによれば、2本が腐食や欠損のないほぼ完全な形で出土するのは異例で、2本とも出土した地中梁では国内最長級。専門家は、古代の土木技術の解明につながる貴重な発見として注目する。
出典: www.asahi.com
被葬者は権威ある豪族 各務原「坊の塚古墳」調査 2018年12月20日 岐阜新聞
岐阜県内2番目の規模の前方後円墳で県史跡の「坊の塚古墳」(各務原市鵜沼羽場町)の発掘調査を進めている市教育委員会は、本年度の第4次調査で「古墳前方部も3段構造で葺石(ふきいし)が確認できた」と発表した。今回の調査で古墳全体が葺石で覆われていることが分かり、市教委は「格式の高い古墳で被葬者は権威のある豪族」としている。22日に現地説明会が行われる。
奈良時代
国分寺 さらに広かったことが判明 高知・南国市 2018年12月6日 テレビ高知
高知県南国市にある国分寺周辺の3度目の発掘調査で、溝や柱の跡が新たに見つかりました。これにより、寺の範囲がさらに広くまで及んでいたことが明らかになりました。
古代庵原郡の役所跡か 尾羽廃寺跡、静岡県内初の発掘事例 2018年12月11日 静岡新聞
静岡県埋蔵文化財センターは9日、静岡市清水区尾羽の「尾羽廃寺跡」で行っている発掘調査に関する現地説明会を開いた。調査により、郡の役所である郡衙(ぐんが)の倉庫とみられる建物跡などが新たに確認され、同地が寺院と役所が隣接した古代庵原郡の拠点と位置づけられることなどが紹介された。
出典: www.at-s.com
古代の金銅仏光背の鋳型が国内初出土 滋賀の遺跡 2018年12月11日 京都新聞
滋賀県草津市教育委員会は12日、同市野路町の榊差(さかきざし)遺跡で、金銅仏の背後に飾る光背の鋳型が出土した、と発表した。奈良時代前半のものと推定され、古代の光背鋳型が見つかるのは国内初。現存する古代の光背は法隆寺の「四十八体仏」などわずかで不明な部分が多く、市教委は「鋳造による仏像制作の過程を知る上で貴重な発見」としている。
藤原京内の漆工房跡か? 建物や漆壺が大量に出土 2018年12月12日 産経新聞
奈良県橿原市の四条遺跡(藤原京跡内)で、藤原京時代(694~710年)の建物跡7棟や漆を入れた土器の破片数十点が見つかり、橿原考古学研究所が12日発表した。建物群は京の条坊(じょうぼう)に方位を合わせて整然と配置され、専門家は「漆製品を製作した大規模な工房跡の可能性が高い」とみている。藤原京跡でこうした施設が確認されたのは初めて。
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和同開珎など奈良期の銅銭が束で出土 京都・安国寺遺跡 2018年12月13日 京都新聞
京都府宮津市教育委員会は12日、安国寺遺跡(同市小松)の発掘調査で奈良時代の銅銭が束の状態で見つかった、と発表した。ひもを通して束ねた「さし銭」の状態だったとみられる計31枚が出土。同時代のさし銭の出土数は京都府内で2番目に多いという。市教委は「丹後国府があったことを裏付けるための貴重な史料」としている。現地説明会が15日に開かれる。
奈良)奈良時代後半の東区朝堂院の規模確定 平城宮跡 2018年12月14日 朝日新聞
奈良市の平城宮跡(きゅうせき、特別史跡)で、奈良時代後半の東区朝堂院(ひがしくちょうどういん)の規模が確定した。奈良文化財研究所(奈文研)が13日、発表した。東区朝堂院は当時の高級官僚が執務した場所。また、東区朝堂院の東門の基壇(土台)の規模が東西約10メートルと新たにわかった。
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奈良)西安寺は「四天王寺式」、伽藍配置を発表 2018年12月21日 朝日新聞
奈良県王寺町教育委員会は20日、発掘調査を続けている西安寺(さいあんじ)跡(王寺町舟戸2丁目)は、塔や金堂などが一直線に並ぶ南向きの「四天王寺式」伽藍(がらん)配置だったと発表した。塔跡の北側で確認された柱の礎石などから金堂の全体規模も明らかになった。
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平安時代
平安京囲う「羅城」なかった? 京都、造営当初の痕跡出土 2018年12月27日 京都新聞
平安京と京外の境目とみられる都造営当初の整地層の痕跡が、京都市下京区寺町通四条下ルで27日までに見つかった。整地層は、都を取り囲む羅城(らじょう)(周壁)を築くための規格に沿う幅だった。ただ、壁そのものの跡は確認できず、羅城で囲われた後世の絵図などと違い、実際は羅城が築かれなかった可能性を示している。
鎌倉時代
快慶の弟子、行快作の仏像発見 京都の阿弥陀三尊像 2018年12月17日 産経新聞
京都市左京区の聞名寺(もんみょうじ)の「木造阿弥陀三尊(さんぞん)像」が鎌倉時代の仏師、快慶の一番弟子だった行快(ぎょうかい)作とわかり17日、京都国立博物館(同市東山区)が発表した。
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室町時代
応仁の乱で途絶えた「北野祭礼」記録、15世紀前半の文書見つかる 北野天満宮 2018年12月6日 毎日新聞
北野天満宮(京都市上京区)は6日、室町時代に応仁の乱で大部分が途絶えた「北野祭礼」を記録した15世紀前半の文書「御祭礼之事書(おんさいれいのことがき)」など新史料が見つかったと発表した。
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新宮城下町遺跡に倉庫跡 中世の川湊裏付け 2018年12月11日 紀伊民報
新宮市教育委員会(和歌山県)は11日、旧丹鶴小学校(新宮市下本町2丁目)の敷地で取り組んでいる新宮城下町遺跡の発掘調査で、中世(平安時代末~室町時代)の約10棟の地下式倉庫跡が見つかったと発表した。うち一つでは、炭化した木材を初確認。幅広い交易がうかがえる土器・陶磁器も出土しており、市教委の担当者は「中世に港(川湊)が存在したことがより裏付けられた」と指摘した。
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戦国時代
浅井長政とお市の方の屋敷跡に建物遺構 滋賀・小谷城跡 2018年12月11日 産経新聞
戦国武将の浅井長政(あざい・ながまさ)と妻、お市(いち)の方の悲劇の舞台として知られる滋賀県長浜市の小谷(おだに)城跡(国指定史跡)で、2人が生活したと伝えられる「御屋敷(おやしき)跡」から、建物の礎石を固定する「根石」や青磁皿の破片などが見つかったと市が11日、発表した。御屋敷跡で建物の存在を示す遺構が発見されたのは初めてで、担当者は「伝承通り2人が住んでいた屋敷だった可能性が高まった」としている。
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安土桃山時代
秀吉の寺町整備の変遷わかる遺構 京の寺院敷地から出土 2018年12月27日 産経新聞
京都市下京区の浄土宗寺院、浄教寺の敷地から、天正10(1582)年の本能寺の変で討ち死にした武将の菩提寺の移築時に築かれ、豊臣秀吉が都市改造の一環で天正18年に実施した寺町整備に伴って埋められた堀跡が出土し27日、民間調査会社の古代文化調査会(神戸市)が公開した。同社は「寺町整備の変遷が分かる珍しい資料だ」としている。
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江戸時代
北方領土 択捉島に松前藩士の墓 対露警備の実態裏付け 2018年12月3日 毎日新聞
北方領土・択捉島中部の振別(ふるべつ)付近で、在島ロシア人が日本人の墓所を発見した。墓石に刻まれた氏名や亡くなった時期が、江戸時代に長く北海道を治めた松前藩の史料と一致し、南下するロシアに備えて「北辺警備」の最前線に派遣され、島で亡くなった藩士らの墓と判明した。北方領土で松前藩の墓所が確認されたのは初めて。研究者は当時の状況を知る手がかりになると注目している。【
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西郷隆盛2番目の妻の名は「アリカナ」 戸籍で確認 2018年12月7日 毎日新聞
西郷隆盛の2番目の妻の名が、広く知られている愛加那(あいかな)ではなく「アリカナ」だったと、京都市在住の歴史研究家、原田良子さん(51)が7日、鹿児島県で発表した。これまでも一部の研究者が指摘していたが、原田さんが初めて西郷家の戸籍で確認した。
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国史跡・井寺古墳発見時の古文書、被災史料レスキューで判明…熊本 2018年12月13日 読売新聞
熊本地震で被災した国史跡・井寺(いでら)古墳(熊本県嘉島町)が幕末に発見された当時の状況を記録した古文書が熊本市内で見つかった。熊本大の研究者らでつくる「熊本被災史料レスキューネットワーク」が12日、同大で発表した。明治時代に盗掘され、不明になっている副葬品や被葬者の情報が記されており、嘉島町教委は古墳の実態解明につながる貴重な資料としている
江戸時代初期に「大坂幕府構想」検討か 小堀遠州が藤堂高虎に宛てた新たな書状見つかる 2018年12月20日 NHK
江戸時代の初期、大坂を徳川幕府の本拠地とする「大坂幕府構想」が検討されていた可能性を示す新たな書状が見つかりました。書状からは、当時、江戸にいた将軍の居城になることを想定して大坂城の築城が進められていたことがわかり、調査に当たった専門家は、構想が具体化していたことがうかがえると指摘しています。
“強化型”鎖頭巾 新潟県内で発見 2018年12月22日 産経新聞
忍者も使った防具の一種「鎖頭巾(くさりずきん)」について、額部分に装甲のような装備などを施した珍しい“強化型”を元大阪府藤井寺市職員の梅本勤さん(68)が入手した。幕末の作とみられ、梅本さんは「こうした形状は今まで見たことがない」としている。
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家定の正室篤姫、流行にも敏感?所用の袱紗、多数発見 2018年12月25日 共同通信
篤姫の通称で知られ、徳川13代将軍家定の正室だった天璋院(1835~83年)が使っていたという袱紗が近年、数多く見つかり、注目を集めている。波乱と困難に満ちた生涯が大河ドラマなどで描かれてきた篤姫だが、華やかさや流行に敏感な一面もあったのを物語っていそうな品々だ。
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明治時代
西郷隆盛が書いた漢詩、新発見 宮崎・都城の市民が寄託 2018年12月5日 朝日新聞
宮崎県都城市は5日、西郷隆盛の新発見の漢詩の書が市民から市教育委員会に寄託されたと発表した。西郷南洲顕彰館(鹿児島市)で鑑定を受けた結果、書は西郷の直筆で、書かれている漢詩は新発見のものと判明したという。
出典: www.asahi.com
東京へ「遷都」に揺れる世論 大久保利通の手紙 2018年12月8日 京都新聞
明治維新で活躍し、新政府で重きをなした大久保利通(1830~78年)が、2代目京都府知事となる槇村正直(1834~96年)に宛てた書簡の写しが見つかり、京都市歴史資料館(上京区)が寄贈を受けた。明治天皇が東京に移った事実上の東京遷都後、皇后の東京行きを控え、反対派の説得や議論の沈静化を槇村に依頼する内容が記されている。
多くの発見の積み重ねから明らかになる新事実、いつもわくわくします。また来月も心躍るような新たな発見がありますように…。