日本史は、日々の研究や発掘の成果により更新されています。それでも、いつどんな発見があったのかは、あまりに多くの発見があるために忘れてしまいがちです。ここでは、2019年の平安時代の新発見を月ごとに記録してまいります。今年も驚くような新発見に出会えますように…。(2019年12月28日最終更新)
1月
幻の檜尾古寺跡を発見 京都・如意ヶ嶽 2019年1月5日 産経新聞
京都市左京区の如意ヶ嶽の山中から平安時代前期(9世紀前半)の寺院跡が見つかり、文献のみに記されている“幻の寺”とされてきた「檜尾(ひのお)古寺」であることが分かった。寺院跡からは粘土を主材料にした仏像の破片も出土し、専門家は「当時の宗教活動が分かる資料」としている。
出典: www.sankei.com
律令時代の伝令中継所「駅家」か 宮城県の遺跡から公的施設跡 2019年1月8日 共同通信
宮城県岩沼市の玉崎地区にある原遺跡(飛鳥時代後半―平安時代前半)から、律令国家時代の公的施設跡が見つかった。中央の指令を伝える役人が馬を乗り継いだ「駅家」の可能性が高いという。これまで駅家と判明した遺跡は全国で兵庫県と茨城県の3カ所。当時の交通網や物流を考える貴重な手がかりとして、注目を集めている。
出典: this.kiji.is
平安京東端くっきり 京都・寺町通の遺構調査 2019年1月12日 毎日新聞
豊臣秀吉の寺町整備の遺構が出土した京都市下京区の浄土宗寺院、浄教寺(じょうきょうじ)の敷地で、平安京の東端にあたる東京極大路(現在の寺町通)の側溝と築地塀(ついじべい)の存在などを想定させるような遷都時の整地層がはっきりわかる形で出土した。民間調査団体・古代文化調査会(神戸市)は先月末に行った現地説明会で、京域が規格が示すとおりに整備されていたことが確認できたと評価した。
出典: www.sankei.com
肥前最大の四面廂建物跡 大村・竹松遺跡発掘調査 平安~鎌倉期 豪族の居館か、中国陶磁器も 2019年1月12日 長崎新聞
長崎県大村市教委は11日、九州新幹線長崎ルート建設に関連したJR大村線の在来線新駅(大村市宮小路3丁目)の整備に伴う竹松遺跡の文化財発掘調査で、平安時代末期の11世紀末から鎌倉時代末期の14世紀にかけて存在したとみられる大型建物3棟の跡地を発見したと発表した。3棟のうち2棟は、母屋の東西南北すべてに廂(ひさし)が付く四面廂(しめんびさし)建物で床面積が100平方メートル超。竹松遺跡一帯を長期にわたって統治していた豪族の居館とみて調査している。
出典: this.kiji.is
2月
<京ノ中遺跡>平安前期の竪穴住居9軒 16日に見学会 2019年2月1日 河北新報
仙台市教委は14日、太白区富田の「京ノ中遺跡」で、平安時代の9軒の竪穴住居跡を確認したと発表した。火災によって焼失した1軒の住居跡があり、炭化した屋根材やくいが見つかった。当時の建物の構造を知る上で貴重な史料になるという。
出典: www.kahoku.co.jp
知られざる宝 驚きと喜び 三井寺・法明院 史料2000点 2019年2月21日 読売新聞
平安時代後期(12世紀)に書写された極楽往生の“マニュアル”「二十五三昧式(にじゅうござんまいしき)(私記)」の写本など、大量の経典や古文書が確認された三井寺(園城寺、大津市)の子院・法明院(ほうみょういん)。僧や美術関係者らの間では「知られざる史料が大量にある」と伝えられてきたが、約2000点もの発見に驚きの声もあがった。(渡辺征庸)
3月
3月の新発見の報道は無かったようです。
4月
「海龍王の家」と呼ばれて 平安京最大級の池跡見つかる 2019年4月30日 京都新聞
平安時代後期に藤原頼通が造営した邸宅「高陽院(かやのいん)」(京都市上京区、中京区)跡で、平安京最大級とされる庭園の池跡を民間調査会社が発掘調査で見つけた。過去の関連調査との比較を通じ、今回の調査地を含む池の東半分と、西半分で岸や底に高低差があることが分かった。調査会社では、一つの大きな池ではなく二つ以上の池が連なっていたとの新知見を示し、「栄花物語で『海龍王の家』と評されたごとく寝殿の北、南、西、東に池が広がっていた可能性がある」とみる。
5月
平氏一族の六波羅邸跡の発見は初めてのことであり、大変な反響がありました。
★清盛ら平氏の拠点「六波羅邸」初の確認 堀跡を発見、京都東山 2019年5月16日 京都新聞
平安時代末期に平清盛ら平氏一族が屋敷を構えた「六波羅邸」の堀跡が京都市東山区で見つかったと、民間調査会社の文化財サービス(伏見区)が16日発表した。清盛が活躍していた時代の遺構とみられ、六波羅邸に関わる屋敷跡の確認は初めて。敵の侵入を防ぐために掘られたとみられ、軍事防御用の堀では京都最古の出土例という。
平安貴族邸宅の門や塀の跡が出土 京都市 2019年5月26日 産経新聞
京都市中京区の平安京跡の調査地から、11世紀ごろの中級貴族の邸宅のものとみられる門と塀の跡が出土し、25日、京都市埋蔵文化財研究所が周辺住民を対象にした現地説明会で公開した。保存状態は極めて良好で、平安貴族の屋敷の構えを具体的にうかがわせる貴重な資料という。
出典: www.sankei.com
6月
★平清盛嫡男・重盛の邸宅「小松殿」の一部か、池跡発見 2019年6月24日 京都新聞
平清盛の嫡男・重盛(1138~79年)が平安時代末期に構えた邸宅「小松殿」の一部とみられる庭園の池跡が、京都市南区猪熊通八条上ルの発掘調査で24日までに見つかった。担当した民間調査会社は、権勢を拡大した平氏が平安京郊外の軍事拠点・六波羅に加え、平安京内でも政治的な拠点を形成したことを裏付ける遺構としている。
修法壇や堰…「古密教」遺構 坂下・高寺山遺跡、徳一と関連か 2019年6月26日 福島民友
9世紀前半の山寺(山岳寺院)跡とみられる遺構が昨年確認された会津坂下町の高寺山(たかでらやま)遺跡で、古密教の祈祷(きとう)で利用する「修法壇(しゅほうだん)」や、湧き水をためる堰(せき)とみられる遺構が新たに見つかったことが25日、町教委への取材で分かった。宗教考古学専門の時枝務立正大教授(61)は、いずれも国内で数例しかない貴重な遺構と評価し「(会津に仏教文化を興隆させた)徳一(とくいつ)とも深く関わりがあると考えられる」としている。
7月
山形・飯豊の仏像2体 平安中期と判明 2019年7月18日 毎日新聞
山形県飯豊町は17日、町内の寺院にある仏像2体の制作年代が11世紀後半と判明したと発表した。町によると、平安中期と科学的に判定された仏像は県内では珍しいという。
出典: mainichi.jp
長岡京跡に複数の大型建物跡 造営直前の建設、身分高い人物の邸宅か 2019年7月26日 産経新聞
桓武(かんむ)天皇が長岡京(784-94年)を造営する直前に都を建設するために建てられたとみられる大規模な建物跡が長岡京市下海印寺の同京跡から複数出土し、同市埋蔵文化財センターが発表した。造営に深くかかわる身分の高い人物の邸宅とみられる。まだ都の土地区画が定まっていない時期に建てられているだけに、建物の向く方向がその後に定まる都の方位と異なっており、同センターは「長岡京造営期の様子を伝える生々しい史料」と評価する。
出典: www.sankei.com
8月
陰陽道の呪符記号? 土器に記された「井」文字の謎 2019年8月20日 産経新聞
平安時代の10世紀前半ごろに廃棄された平安京の貴族邸(京都市右京区西院南寿町)内の井戸の底から、「井」と墨書された土師器(はじき)の椀(わん)が見つかった。調査した民間調査団体「古代文化調査会」(神戸市)は、呪符(じゅふ)記号による祭祀(さいし)の跡とみている。当時の貴族が行っていた陰陽道(おんみょうどう)を含む除災・祭祀のやり方を具体的にうかがわせた貴重な遺構という。(園田和洋)
出典: www.sankei.com
「国司館跡」で多数土器片 小松・古府シマ遺跡 平安末期 2019年8月21日 北國新聞
平安期の加賀国(かがのくに)の中心地、加賀国府が置かれたと伝わる小松市古府(こふ)町の遺跡から、平安末期(12世紀)の土師器(はじき)の破片が多数出土したことが20日、県埋蔵文化財センターへの取材で分かった。出土場所は地元で「タチ」と呼ばれ、当時の地方行政のトップ、国司(こくし)の居宅である「国司館」だった可能性がある。センターは「加賀国府一帯の遺構を解明する糸口になる」(担当者)としている。
9月
平氏一門の屋敷跡から墓石の原型が出土 一帯は墓所「鳥部野」か 2019年9月9日 京都新聞
平安京郊外にあった墓所、鳥部野(とりべの)(鳥辺野)で埋葬された貴族の墓に使われたとみられる平安時代ごろの「笠塔婆(かさとうば)」が京都市東山区の六波羅政庁跡で見つかったと、民間調査会社・文化財サービス(伏見区)が9日発表した。鳥辺野が旧五条通(現松原通)南側に広がり、一帯を拠点とした平清盛の都市開発によって葬送地から姿を変えた変遷を考古的に裏付ける発見としている。
平安京の南限発見 九条大路、全四辺を確認 羅城門から続く塀も 2019年9月12日 日本経済新聞
794年に遷都された平安京の南限で東西に延びていた「九条大路」の路面や側溝が京都市南区の発掘調査で見つかり、市埋蔵文化財研究所が12日発表した。九条大路を発見したのは初めて。東西や北の境界は既に発見されており、平安京の四辺が全て確認された。同研究所は「九条大路の位置は、平安時代の法令集『延喜式』の記述から推定した場所とほとんど誤差がなく、平安京の設計、施工の精度が高かったことがうかがえる」としている。
出典: www.nikkei.com
平安京南部の室町小路は運河 道路想定地から遺構 2019年9月23日 産経新聞
平安京に遷都して間もない9世紀前半に、京都市南区の室町小路(現在の室町通、南北道)想定地から湿地を運河のように直線的に掘削した跡が出土した。運河状遺構の幅は室町小路とほぼ同じで、調査した元興寺文化財研究所(奈良市)は「調査周辺では室町小路はかなりの期間、存在していなかった可能性が高い」と指摘する。
出典: www.sankei.com
10月
平安京「鳥辺野」裏付ける墓跡 京都・東山区で見つかる 2019年10月5日 朝日新聞
京都市東山区の平安京の葬送地「鳥辺野(とりべの)」があったとされる一角から、平安時代後期の方形区画墓や木棺墓などの墓跡がみつかった。鳥辺野は「徒然草」や「源氏物語」などの文献を通じて平安京造営以来の代表的な葬地として知られていたが、考古学的に裏づけられたのは初めて。
出典: www.asahi.com
多賀城跡で新たな門跡発見 外郭西辺で2ヵ所目、平安時代に建造か 2019年10月11日 河北新報
国特別史跡の多賀城跡を調査している宮城県多賀城跡調査研究所は10日、平安時代に造られたとみられる新たな門跡が見つかったと発表した。本年度調査している多賀城市市川丸山にある外郭西辺北部から出土した。門跡が見つかったのは2010年の外郭東辺以来で、西辺では2カ所目。
出典: www.kahoku.co.jp
平等院の鳳凰堂、建立当初の板材を確認 2019年10月19日 京都新聞
平等院(京都府宇治市)は18日、平安時代の1053年に関白・藤原頼道によって建立された鳳凰堂(ほうおうどう)(国宝)の屋根下地に使われていた板の伐採年が、年輪年代調査の結果、建立直前の1046年と判明し、建立当初の木材だったと発表した。神居文彰住職は「建立前の歴史は文献資料ではよく分かっておらず、建築史をひもとく貴重な発見だ」としている。
平安京「西寺」の中心建物の基壇発見 東寺と西寺、左右対称配置の可能性高まる 2019年10月24日 京都新聞
平安京の玄関口に建てられた官寺「西寺」跡(京都市南区)で、中心建物の講堂跡の基壇が見つかったと、市文化財保護課が24日発表した。基壇は造営した平安時代前期の姿をとどめ、同じ時期に築かれた初期平安宮の建物や寺院の解明につながる重要な遺構という。五重塔とみられる建物の跡も初めて見つかり、東寺と西寺の主要伽藍(がらん)が朱雀大路を軸に、左右対称の位置に配置されていた可能性がより高まった。
11月
貴族邸宅の池遺構か 平安京右京で発掘―京都 2019年11月27日 時事通信
花園大は27日、794年に遷都された平安京の右京二条三坊九町に当たる同大構内(京都市中京区)の発掘調査で、上級貴族の邸宅に伴う池と流路とみられる遺構を発見したと発表した。見つかった陶器などの年代から、邸宅として存続したのは100年に満たなかったとみられるという。
出典: www.jiji.com
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