日本史は、日々の研究や発掘の成果により更新されています。それでも、いつどんな発見があったのかは、あまりに多くの発見があるために忘れてしまいがちです。ここでは、2019年の明治時代以降(明治・大正・昭和)の新発見を月ごとに記録してまいります。今年も驚くような新発見に出会えますように…。(2019年12月28日最終更新)
1月
夏目漱石の成績表を発見 旧制一高時代、哲学クラストップ 2019年1月7日 毎日新聞
福井県は7日、夏目漱石(1867~1916年)が旧制第一高等中学(現東京大教養学部)に在籍した時の成績資料が見つかったと発表した。現在の福井県越前市出身の哲学者で一高教諭の松本源太郎(1859~1925年)が、論理学(哲学)の成績を付けた備忘録的な手帳で、漱石の大学入学前の学業状況を示す記録は珍しく、県は「文豪の若き日がうかがえる貴重な資料」としている。
出典: mainichi.jp
日露戦争陸軍兵の従軍記発見 遼陽会戦・黒溝台会戦 詳細に 2019年1月9日 産経新聞
大阪市淀川区の民家から、明治時代の日露戦争(1904~05年)の際に陸軍兵が記録したとみられる従軍日誌が見つかった。日本陸軍とロシア軍の主力が衝突した遼陽(りょうよう)会戦、黒溝台(こっこうだい)の会戦といった日露戦争の主要作戦についても詳述。文書を見た立命館大学の小関(おぜき)素明教授(日本史学)は「書いた人の視点で日露戦争のひとこまが記された貴重な資料。新たな日露戦争の理解を加えるものになるのではないか」と話している。
出典: www.sankei.com
2月
西古見砲台跡を初確認 瀬戸内町教育委員会戦跡調査 2019年2月8日 南海日日新聞
瀬戸内町教育委員会が進めている同町西古見の近代遺跡(戦争遺跡)砲台跡の発掘調査が1月7日~2月1日に行われた。遺跡を覆っていた土や草木を除去し、砲座を初確認。町教委社会教育課埋蔵文化財係の鼎丈太郎さんは「大正期に造られた砲台跡を発掘するのは全国でも例がなく、どういう兵器がどう使われていたのかを確認できた」と調査成果を強調した。
出典: www.nankainn.com
90年前の豊国丸遭難記録 詳細に 死亡の船長、最期まで救命 襟裳沖 2019年2月11日 毎日新聞
襟裳岬(北海道えりも町)沖で1929(昭和4)年に沈没し、死者・行方不明者が78人に達した漁場送り込み船「豊国(とよくに)丸」(2344トン、176人乗り組み)の遭難と事後処理を記録した貴重な資料が昨秋、確認された。【松倉展人】
出典: mainichi.jp
シベリア女性抑留者の名簿を発見 日本121人、ロシアで保存 2019年2月23日 共同通信
旧ソ連によるシベリア抑留で、詳しい実態がつかめていない女性の抑留者について、日本人121人とドイツ人3人の名前などを記した名簿が、モスクワのロシア国立軍事公文書館に残されていることが23日、分かった。大阪大の生田美智子名誉教授が発見した。女性抑留者を巡っては、帰国後の証言や手記などが残されているが、女性の名前が列挙された公的資料の存在が確認されたのは初めてとみられる。女性抑留者は大まかな総数すら判明しておらず、全体像を解明する端緒となる可能性がある。
出典: this.kiji.is
徳川慶喜直筆「誠」の書 広辞苑編者の新村出旧宅で発見 2019年2月26日 京都新聞
江戸幕府最後の将軍徳川慶喜が書いたとみられる書が、「広辞苑」の編者として知られる言語学者新村出(しんむらいずる)の旧宅(京都市北区)で見つかった。出の養父猛雄が慶喜に仕える身だったため、新村家で軸装されて受け継がれたと考えられる。約1メートル四方の絹本に力強く「誠」と書かれ、「慶喜」の落款が押してある。書かれた時期は不明だが、専門家は「劇的な人生を歩んだ慶喜の人物像を知る上でとても貴重な史料」と話す。
サン・ファン出帆地は「雄勝」 明治時代の硯に記述 2019年2月28日 石巻かほく
牡鹿半島の月浦(石巻市)からの出航が定説とされる慶長使節船サン・ファン・バウティスタ号について、出航の地が石巻市雄勝町と解釈される文字を刻んだ明治時代製作の雄勝硯(すずり)が見つかった。雄勝湾からの出航を唱える地元関係者は「雄勝説」を裏付ける貴重な史料として注目している。
3月
明治の境関跡 伝える古文書 朝日・旧記念館 壁紙下張りから発見 2019年3月2日 北日本新聞
加賀藩十村役の邸宅だった旧朝日町明治記念館の壁紙の下張りから新川県が作った明治初期の古文書が見つかった。
出典: webun.jp
東京駅建設中の写真原本を発見 鉄骨構造鮮明に、横須賀市 2019年3月5日 共同通信
神奈川県横須賀市は5日、1914年に開業した東京駅の建設中の様子を撮影した写真の原本(縦約20センチ、横約54センチ)が市施設で見つかったと発表した。11年7月19日に撮影され、れんがを積む前の鉄骨構造が鮮明に写っている。
出典: this.kiji.is
今なら25億円、宇部高設立時の寄付名簿みつかる 2019年3月14日 宇部日報
11月に開校100周年を迎える山口県宇部高(古谷修一校長)の創立に当たって、1920(大正9)年に財団法人宇部共同義会が募った寄付に協力した人たちの名簿と開校式の招待者リストが見つかった。名簿には渡辺祐策など炭鉱経営者や歴代村長経験者ら知名士に加えて一般村民の名前も並び、同校が宇部の人たちの期待を一身に担って開校したことを示す貴重な資料となっている。
4月
太宰治「お伽草紙」完全原稿を発見 70年ぶり387枚 2019年4月5日 朝日新聞
作家、太宰治(1909~48)の代表作の一つ「お伽草紙(とぎぞうし)」の完全原稿が見つかった。「瘤(こぶ)取り」「舌切雀(したきりすずめ)」など日本の昔話を元にした作品集。戦時下に執筆され、終戦直後に単行本が出たあと行方がわからなくなっていた。東京都目黒区の日本近代文学館で、6日から公開している。
出典: www.asahi.com
新紙幣の顔 渋沢栄一の漢詩の軸を確認 京都・霊山歴史館 2019年4月17日 毎日新聞
2024年度からの新しい1万円札に採用が決まった実業家で、「近代日本の資本主義の父」とされる渋沢栄一(1840~1931年)が渡米時の所感を28文字の漢詩で書いた掛け軸が、京都市東山区の霊山(りょうぜん)歴史館で確認された。明治末期ごろの作と推定され、同館は渋沢の名前と雅号「青淵(せいえん)」の朱印があることから直筆とみている。
出典: mainichi.jp
会津藩家老・田中土佐が長女に託し…戊辰の短刀城下へ 子孫が福島県立博物館に寄託 2019年4月18日 福島民報
戊辰戦争時の会津藩家老田中土佐が自刃前に長女此(この)に託した短刀が十七日、会津若松市の県立博物館に寄託された。土佐のやしゃご木暮陽子さん(70)=神奈川県横須賀市=が夫美奈夫さん(72)と共に持参し約百五十年ぶりに会津に戻った。博物館は公開を検討している。
出典: www.minpo.jp
5月
幣原喜重郎の「憲法9条」掛け軸発見 軍備よりソフトパワー 漢詩に思い託し 2019年5月3日 毎日新聞
戦後2人目の首相として連合国軍総司令部(GHQ)との憲法制定交渉に当たった幣原(しではら)喜重郎(1872~1951年)が在任中、憲法9条への思い入れを託したとみられる漢詩の掛け軸を千葉県在住の歴史家、大越哲仁さん(57)が発見した。掛け軸は長年、所在不明になっていた。
出典: mainichi.jp
6月
新史料発見 戊辰戦争時・磐城平藩と笠間藩 戦闘の記述なし 2019年6月6日 福島民報
戊辰戦争で東軍(旧幕府軍)側についた磐城平藩が、西軍(新政府軍)側に加わった笠間藩がいわき市に保有した「神谷(かべや)陣屋」を制圧した際の状況を示す史料が見つかった。磐城平藩が戦闘で陥落させた説が知られているが、史料によると協議の上で明け渡したとの記述がある。
出典: www.minpo.jp
“幻”の明治新聞社刊、戦前の山城地域「長者番付」発見 2019年6月18日 京都新聞
京都府宇治市の茶農家でこのほど、1930(昭和5)年の山城1市(伏見)6郡(乙訓、宇治、久世、紀伊、綴喜、相楽)の長者番付表が見つかった。発行したのは、当時の伏見市(現京都市伏見区)にあった明治新聞社。酒造と水運のまち、伏見の繁栄を伝えるほか、幅広い職業の人たちの名があり、昭和初期の地域社会の一面を伝えている。
★松平容保「御宸翰」…明治天皇の手に 30日間保管、その後返却 2019年6月28日 福島民友
幕末に孝明天皇から会津藩主松平容保(かたもり)へと送られた御宸翰(ごしんかん)(天皇直筆の書)が1889(明治22)年、容保から明治天皇に提出されていたことが、宮内庁宮内公文書館の史料から明らかになった。朝敵ではなかった証しとなる御宸翰を、容保は亡くなるまで肌身離さず持ち歩いたと伝わる。専門家は「会津藩の歴史を語る上で重要な発見」と驚いている。
7月
建物疎開の命令書発見「10日で立ち退け」 2019年7月2日 岐阜新聞
太平洋戦争末期の米軍の空襲に備えて家屋を事前に取り壊す「建物疎開」のため、建物の譲り渡しを強制する県知事名の命令書が、岐阜市内で見つかった。市街地の延焼を食い止める防火帯「百メートル防空路」を造るのが目的だが、命令から譲渡までわずか10日という性急さ。研究者は「当時の民間防空の手続きを知る上で貴重な史料」と指摘する。
森鷗外の医学資料を発見 医者の心構え説く 津和野の記念館 2019年7月18日 毎日新聞
島根県津和野町出身の文豪・森鷗外(1862~1922年)の著作などをまとめた鷗外全集(岩波書店)に未収録の文章が森鷗外記念館(同町町田)の所蔵資料調査で確認された。明治時代の医学書に寄せた序文で、軍医でもあった鷗外が医者の心構えを説いた内容。館長の山崎一穎・跡見学園理事長は「鷗外の医学資料は研究者視点の専門的な内容が多い中、医者としての姿勢がうかがえる貴重な資料」としている。
出典: mainichi.jp
対馬丸撃沈、教員に説明 疎開時の日誌に記述 2019年7月18日 琉球新報
沖縄戦当時、学童疎開の引率教員だった翁長以清(いせい)さん(故人)が疎開先の宮崎県で記した日誌などが、このほど那覇市歴史博物館に寄贈された。日誌には、かん口令が敷かれていた対馬丸の撃沈について、県が教員らに秘密裏に説明したとみられる記述などがある。併せて1946年に疎開中の教員らが新時代の教育を目指して立ち上げた「宮崎県集団学童関係教職員連盟」の綱領なども寄贈された。疎開時の日誌4冊は19日から9月2日まで同館の常設展で公開される。
出典: ryukyushimpo.jp
8月
「『ノモンハン』血ノ教訓」 大阪・難波宮跡から旧陸軍機密文書見つかる 2019年8月11日 産経新聞
飛鳥~奈良時代に一時的に都が置かれた難波宮跡(大阪市中央区)の発掘調査現場から、1939(昭和14)年に旧満州(現中国東北部)とモンゴルの国境付近で旧日本・満州国軍とソ連・モンゴル軍が武力衝突した「ノモンハン事件」に関する旧日本軍の機密資料が見つかっていたことが11日、分かった。終戦時に米軍の接収を免れるため焼却処分された燃え残りとみられ、文書には「『ノモンハン』血ノ教訓」などの記載もあった。事件から今年で80年。戦争遂行に際しノモンハンを教訓に戦略を立てようとした状況が分かる貴重な資料になりそうだ。
出典: www.sankei.com
100年前の海軍訓練克明に 大正期の記録冊子を発見 宮城・登米 2019年8月16日 河北新報
宮城県登米市津山町の無職菊地秀一郎さん(92)方で、大正期の海軍実地訓練の様子などを収めた複数の冊子が見つかった。秀一郎さんの父秀雄さんの遺品で、日本が国際協調を志向した約100年前の海軍の日常を撮った写真や訓練の概要を今に伝える。米軍人と交流する様子も収められ、専門家は史料としての価値を評価している。
出典: www.kahoku.co.jp
昭和天皇、戦争への「反省」表明望む 初代宮内庁長官「拝謁記」 2019年8月19日 毎日新聞
終戦後に初代宮内庁長官を務めた田島道治が在任中の昭和天皇とのやり取りを詳細に記した文書を残していたことが明らかになった。昭和天皇は戦争への強い反省の気持ちを1952年5月の独立回復式典で表明しようと考えていたほか、独立前後に再軍備や憲法改正の必要性に言及するなど象徴天皇となった後も政治的な意見を首相に伝えようとしていた。宮内庁が編さんした「昭和天皇実録」に含まれていない内容も多く、昭和史を考える貴重な資料となりそうだ。
出典: mainichi.jp
杉原千畝の新電文見つかる、「命のビザ」発給中も情報収集 2019年8月30日 nippon.com
第二次世界大戦の中、祖国を追われたユダヤ難民に「命のビザ」を発給し、数千人のユダヤ人を救った日本の外交官、杉原千畝。ヒューマニスト、スギハラ・チウネは、独ソが対峙する激動の国際政局下にあって、独ソ両陣営の動向を精緻につかんでいた稀代の情報士官(インテリジェンス・オフィサー)であった史実は意外に知られていない。杉原が本省と懸命の駆け引きをしながら、ビザの発給を続けていたさなかに、リトアニアの各国公使館などの動向を報告していた公電がこのほど新たに見つかった。
9月
会津藩士・山本覚馬の建白書…防衛省内に 新政府提出を裏付け 2019年9月24日 福島民友
大河ドラマ「八重の桜」の主人公、山本(新島)八重の兄で会津藩士の山本覚馬(かくま)が日本の将来を見据えて作成した建白書「管見(かんけん)」が記された文献が、東京都の防衛省防衛研究所で保管されていたことが23日までに分かった。管見は新政府、または薩摩藩に提出されたとの通説だったが、直接的に裏付ける資料が見つかっていなかった。研究者は「政府の中枢まで、覚馬の意見が届いていたことが確かめられる貴重な資料」と話している。
戊辰戦争時の武士の日記、金沢駐屯地が保管 「私的記録で貴重」 2019年9月27日 北國新聞
約150年前の戊辰(ぼしん)戦争に加わった加賀藩の武士の日記が、陸上自衛隊金沢駐屯地で保管されていたことが分かった。専門家は「藩の報告書などと性格が異なり、一人の武士の足取りや感情が書き記された私的な記録は貴重で注目できる」としている。
10月
「坂の上の雲」にも登場 海軍中佐広瀬武夫、戦死前の手紙発見 2019年10月11日 産経新聞
日露戦争の「軍神」として知られ、小説「坂の上の雲」にも登場した海軍中佐、広瀬武夫(1868~1904年)が戦死前、幼なじみで京都・東寺の執事だった松永昇道に宛てた手紙が見つかったと、司馬遼太郎記念館(大阪府東大阪市)が11日、発表した。明治37年3月7日付で、20日後に戦死した広瀬の最晩年の様子を知る貴重な資料といえる。
出典: www.sankei.com
旧日本軍の空母「加賀」、ハワイ付近の海底で発見 2019年10月19日 読売新聞
【ロサンゼルス=久保庭総一郎】第2次世界大戦のミッドウェー海戦で沈没した旧日本軍の空母「加賀」が、米ハワイ諸島付近の水深約5400メートルの海底で見つかった。AP通信が18日に伝えた。加賀は1941年12月の真珠湾攻撃に参加した当時の主力艦船の一つで、42年6月のミッドウェー海戦で、米軍の急降下爆撃を受けるなどして沈没した。残骸の一部は99年に発見されていた。
11月
発令日分かる「役員録」/斗南藩史の史料発見 2019年11月17日 東奥日報
会津・斗南藩士の子孫甲羽(こうは)智武さん(埼玉県)が、青森県むつ市の実家に残された資料から、斗南藩職員の発令日などが分かる「役員録」を発見した。
新発見は随時更新してまいります。