伊能忠敬や15代将軍徳川慶喜も立ち寄ったとされる旧旅籠「富永屋」の解体に際して

投稿者: | 2020年1月13日

享保20年(1735年)の棟札が残り、伊能忠敬や15代将軍徳川慶喜も立ち寄ったとされる旧旅籠「富永屋」が解体されるとの報道がありました。木造建築で約300年を経て今の時代に残るというのは大変なこと…。存続に向けての各方面の努力がありましたが叶わなかったようです。(2020年1月13日最終更新)

江戸最後の将軍も訪れた! 旧旅籠「富永屋」来週にも解体へ 維持費かさみ所有者決断  2020年1月13日 京都新聞

西国街道沿いに江戸時代から残る旧旅籠(はたご)「富永屋」(京都府向日市寺戸町)の解体工事が、来週にも始まることが、関係者への取材で分かった。保存を願う市民の声を受けて、所有者は存続策を検討してきたが、市に購入の意思がないことから決断。乙訓地域の文化遺産が姿を消す。

出典: www.kyoto-np.co.jp

享保20年は八代将軍徳川吉宗の治世です。その時代に建てられた建物が姿を消すことになりました。Twitterでの意見には「歴史ある建物は取り壊すともう元には戻らない。何とか保存できないだろうか」という意見が多くある一方、「行政は施策に優先順位をつけなけらばならない時代、福祉など課題山積の中ではやむを得ない」「所有者の資産として考えれば、土地の売却なども含め已む無し」といったご意見もありました。

確かに、修繕だけでなくその後の維持管理を考えれば、行政も安易に保存を受け入れることができないのも理解はできます。わたしもある代官屋敷の茅の葺き替えに数十年に一度とは言えども数千万がかかるということも聞いたこともあります。前例があれば今後もという縛りも出てきます。

それでも文化財指定や補助金の獲得等地方自治体にはふるさとの資産の保全に全力を尽くしてほしいところです。

存続、已む無しのいずれも考えはよくわかります。そこで解体まで短い期間になりますが、あえて次のように提案をさせていただきます。批判もあるかと思いますが、お許しください。

提案

①解体、その地から富永屋がなくなるのはここに至っては已む無し。

②解体後の主要な部材(柱や梁など)は一定の期間保存する。保管は、できるだけ公共施設の未利用部分を活用し、保管料の縮減を図る。(空き教室など適当なスペースがあるといいのですが。。)建物の構造など図面は調査済みと思われる。

③同時に部材を民間への売却を実施(富永屋の部材として活かしてもらうことを条件)日本料理店、蕎麦屋など新築の際に活用してもらう。一番は同じ建物の復元ですが、一部の利活用でも図ってほしい。

安直ではありますが、何としてもでも建物の一部でも後世に伝えてほしいというのが思いです。主要な部材が劣化により使用できないのであれば、利用できるものだけでもリユースしてほしいと思います。

このニュースへのご意見

お写真等は、Facebookむこうまち富永屋より借用しました。この建物への愛が伝わるページです。ぜひご参照ください。