足利尊氏の顔論争、ようやく終止符か

投稿者: | 2017年10月28日

足利尊氏の新たな肖像画発見

室町幕府の初代将軍・足利尊氏(1305~58)の肖像画が新たに発見されました。

足利 尊氏(あしかが たかうじ)は、鎌倉時代後期から南北朝時代の武将。室町幕府の初代征夷大将軍(在職:1338年 – 1358年)。足利将軍家の祖。

出典: ja.wikipedia.org

室町幕府の初代将軍・足利尊氏(1305~58)の死後間もない14世紀末に描かれたとみられる肖像画の写しが見つかった。尊氏の室町時代の肖像画は他に1点しかなく、専門家は「垂れ目や大きな鼻の特徴が似ている。意見が分かれる尊氏の顔立ちを伝える貴重な資料だ」としている。

出典: www.sankei.com

新たに見つかった「足利尊氏像」(個人蔵)

発見の根拠は

尊氏像とされた決めては、中世まで確実に遡れること、画中の文書に(1)尊氏を示す「長寿院殿」という言葉がある(2)尊氏の業績として知られる国内66州に寺や塔を建立した旨の記載があることだそうです。

個人が所有するもので、栃木県立博物館の本田諭特別研究員や鎌倉歴史文化交流館の高橋真作学芸員らが、資料調査の際に発見。①尊氏を示す「長寿寺殿」という言葉がある②尊氏の業績として知られる国内の66州に寺や塔を建立した旨が記されている――などから尊氏像と判断した

出典: www.asahi.com

これまでの尊氏像との比較

長い間教科書に載っていて尊氏説が薄くなっていた「騎馬武者像」の顔とはまったく別人物に見えます。一方で有力な尊氏像とされている「絹本著色(ちゃくしょく)足利尊氏将軍画像」(広島県浄土寺蔵)とは同じ人に見えます。また、木造の「足利尊氏坐像」(大分県安国寺蔵)ともよく似ている印象です。

近年の研究で、歴史教科書などで尊氏像として紹介されてきた「騎馬武者像」(京都国立博物館蔵)は尊氏でない可能性が高まっている。現在、その姿を伝えるものとして、室町時代以前に描かれた肖像画は「絹本著色(ちゃくしょく)足利尊氏将軍画像」(広島県浄土寺蔵)のみだという。

出典: www.asahi.com

京都国立博物館所蔵の「騎馬武者像[12]」は、京都守屋家の旧蔵品だったことから、現在でも他の尊氏像と区別する必要もあって守屋家本と呼ばれる。「騎馬武者像」は松平定信編纂の『集古十種』で尊氏の肖像として紹介されたことから一般に広く知られ、2000年代頃までは学校用の歴史教科書でも尊氏の肖像として掲載されていた。しかし、2代将軍義詮の花押が像上部に据えられていることや、騎馬武者の馬具に描かれている輪違の紋が足利家ではなく高家の家紋であるなどの理由から、像主を高師直とする説[13][14]、もしくは子師詮[15]、師冬とする説などが出ている。こうした動きがあることから、2000年代頃から各教科書では尊氏の肖像として掲載されなくなり、「騎馬武者像」として掲載されるにとどまっている

出典: ja.wikipedia.org

騎馬武者像(京都国立博物館蔵)

 

「絹本著色足利尊氏将軍画像」(広島県浄土寺)

「木造足利尊氏坐像」(大分県安国寺蔵)

 

みんなの反応

 

足利尊氏新肖像画についてのTwitter調査(2017年10月30日追記)

新たな肖像画発見により足利尊氏のイメージに変化があったかをTwitterによる投票による調査を行いました。198人の方のご協力をいただきました。この場をお借りして御礼申し上げます。結果は、「尊氏のイメージが良くなった方が51%」となりました。詳しくは下記をご覧下さい。イメージは実績から考えるのが基本かもしれませんが、現在の政治家同様に歴史上の人物も「見た目」が一定程度イメージに影響するのかもしれませんね。