NHK大河ドラマ「西郷どん」では佐野史郎さんが演じていた「井伊直弼」。安政の大獄により西郷隆盛の人生に大きな影響を与えた人物です。しかし、安政の大獄の影響を最も受けてしまったのは、はからずも井伊直弼自身でした。
安政7年3月3日(1860年3月24日)上巳の節句のため江戸城に登城途中の大老井伊直弼が暗殺されました。江戸の終焉を早めた「桜田門外の変」の地を158年前を想いながら、数回に分けて歩きたいと思います。
井伊家上屋敷
井伊家上屋敷は、江戸城桜田堀に面したところに位置しています。平面図ではわからないのですが、桜田堀からはかなりの高低差があり高台です。
譜代筆頭の井伊の赤備えとして先陣を務める家柄でもあり、江戸城を守る要衝に屋敷地(明治時代以降は参謀本部がこここに置かれた)を拝領していたことがわかります。
上屋敷ですから、井伊直弼はここに居住し、幕政に参画してからは頻繁にこちらから登城したものと思われます。
登城のないときにも、この屋敷で幕府政治のことを思案し、「安政の大獄」に関係する人々の処分決定の考えをまとめたのもこの場所であったかもしれません。
今は、憲政記念館と国会前庭公園の部分が開放されていて、自由に見学することができます。井伊家の屋敷地であったことを示す案内石の側に、石灯篭があるのですが、こちらが井伊家のゆかりのものかはわかりませんでした。
江戸の名水「櫻の井」
井伊家の表門外の西側には。江戸の名水として知られた「櫻の井」がありました。井伊家に拝領される前には、この地は加藤清正の屋敷があり、この井戸も加藤清正が掘ったものと伝わっています。
歌川広重の「外櫻田弁慶櫻の井」(1843)にも描かれていて、幕末当時、江戸城を訪れる通行人に豊富な水を提供し、重宝がられていました。
現在、井伊家上屋敷跡にある井戸は、道路工事のために、すぐそばの交差点内から位置を変えて復元されたものになります。
上屋敷跡から江戸城外桜田門を臨む
「外櫻田弁慶櫻の井」には遠くに江戸城外桜田門が見えています。おそらく、この場所からは、700~800mくらいでしょうか。
歌川広重とほぼ同じ構図から桜田門を臨みます。絵と写真を比較すると時代の流れを感じます。この上屋敷から、大老井伊直弼は、積雪が20センチはあろうかという春の大雪、吹雪の中「櫻の井」の脇をとおり、午前9時ころに登城の途につきました。ほんの数分後に起こる悲劇にはまだだれも気がつきません。
次回は、実際に水戸浪士16名と薩摩浪士1名が待ち構える地へ歩を進めたいと思います。
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安政七年(1860)三月三日、雪にけむる江戸城桜田門外に轟いた一発の銃声と激しい斬りあいが、幕末の日本に大きな転機をもたらした。安政の大獄、無勅許の開国等で独断専行する井伊大老を暗殺したこの事件を機に、水戸藩におこって幕政改革をめざした尊王攘夷思想は、倒幕運動へと変わっていく。襲撃現場の指揮者・関鉄之介を主人公に、桜田事変の全貌を描ききった歴史小説の大作(「BOOK」データベースより)