【手作り】初めてのお茶づくり 旧幕臣の苦心を思いながら

投稿者: | 2018年6月25日

ゴールデンウィークに実家の庭のお茶の木に美しい緑の新芽が芽吹いているのを見て、衝動的にではありますが、お茶づくりをしてみたいと思い立ち、初めて試みることにしました。

お茶と歴史で思い浮かべるのは?

歴史のブログを書いているので、お茶づくりも少し無理やりですが、歴史に絡めて書いてみようと思います。皆さんは、お茶と日本史との関係で思い浮かべるのはどのようなことでしょうか?最澄や空海、栄西などの高僧が日本に茶を伝えたこと、織田信長、豊臣秀吉、千利休など安土桃山の茶の湯のこと、もしくは、石田三成が秀吉に献じた「三献の茶」の逸話でしょうか?

わたしがお茶で思うのは、明治初期の殖産興業としての「」です。150年ほど前の日本、何も輸出するもののなかった日本を支えたのが「絹」と「茶」でした。まさに輸出総額の8割以上を占めていたといいます。

そして、国策としての「」づくりを担ったなかには、旧幕臣たちの姿がありました。徳川慶喜の側近の剣客集団「精鋭隊」や「彰義隊」に参加した旗本たちも新たな時代をまさに切り拓くことになったのです。以下、静岡県島田市観光協会のWEBから精鋭隊隊長の中條金之助の事績を引用します。

中條金之助影昭(ちゅうじょうきんのすけかげあき)は、江戸六番町(現在の千代田区六番町)で、中條市右衛門の長子として生まれました。

剣の達人でもあり、13代将軍家定に仕え、武士たちに武術を指南する剣術・柔術世話心得などを歴任していました。

慶応3(1867)年、15代将軍慶喜が大政奉還し、駿府に居を定めた時、中條金之助影昭を頭とする幕臣の精鋭隊(のちの新番組)が、慶喜の護衛のため、共に静岡に移住しました。
その後、新番組は解散、多くの武士達が失業することとなります。

幕府直領として放置されていた広大な牧之原の開拓を勝海舟に勧められ、苦悩の末、牧之原の開拓に従事することとなりました。
牧之原荒野の慣れない開拓事業は苦難の連続でしたが、見事に茶園として開拓され、牧之原が茶の生産地となったのは、中條を始めとする関係者の努力の賜でしょう。
今日の牧之原大茶園の基礎を築いた功績を称え建立された中條金之助影昭像は、今も牧之原の台地を見守っています。

出典: www.shimada-ta.jp

美味しい静岡茶にも、旧幕臣たちの苦心、そして思いが込められています。

初めてのお茶づくり

お茶は上杉家の軍記「北越軍談」でも「城中にかねて植え置くべき草木」として記述されています。また、江戸時代の武家屋敷にも多く植えられていたといいます。我が家は、武家屋敷ではありませんが、以前いただいた茶の木がほとんど手入れもされることなく元気に育っていたために、今回歴史に思いを馳せながら、手作りでの煎茶づくりにチャレンジしてみました。今回は電子レンジを使う最も簡単な方法で作りました。

1.まずはお茶の葉摘み

お茶は、新芽が出てから30日ほどの八十八夜(はちじゅうはちや)に摘むのが良いそうです。ちょうど、ゴールデンウィーク中に八十八夜の日があり、摘むのには良い時期でした。1芯3葉と言って、先のほうの若い葉を摘みます。

(注)5月中旬以降には、茶毒蛾がつくことがありますので、注意が必要です。

2.摘んだお茶をレンジで2分

上の写真くらいのお茶の葉を電子レンジで2分ほど温めると、しっとりと蒸されたようになります。室内が、新鮮なお茶の香りでいっぱいになります。本来ですと蒸し器で蒸すのだと思います。

レンジで2分

3.ぎゅっぎゅっと手で揉み込み2分

蒸されたようになった茶葉を、ぎゅっぎゅっと2分ほど揉みこみます。少し力を入れて揉みます。熱いので、やけどには注意してください。

手もみ1回目

手もみしたら、また電子レンジで2分温めます。水分がどんどん抜けていきます。そしてまた2分ほど揉みこみます。

手もみ2回目

また、レンジで2分、そして手もみを2分行います。水分が抜けて葉が粉々になってきます。

手もみ3回目

4.レンジと揉み込みを繰り返す

レンジで2分と手もみを2分を4回繰り返すと、すっかり水分が抜けて完成です。フライパンで炒るレシピも多いのですが、こちらが一番簡単のように思います。

手もみ4回目

出来たお茶の葉で早速煎れてみました。少しぬるめの80度くらいのお湯で煎れると渋みがあまりない旨味のあるお茶になります。

江戸の終わりから150年。旧幕臣たちの苦労も思いながらのお茶つくりとなりました。レンジを用いると本当に簡単ですので、ぜひお茶の木がある方はお試しいただけたらと思います。