2018年7月 日本史新発見ダイジェスト

投稿者: | 2018年7月31日

平成30年7月も各地からたくさんの新たな発見の情報が届きました。今年は、戊辰戦争、明治維新から150年ということもあり、関連する資料が数多く発見されています。今月も凌霜隊に関する新史料や斗南藩の入植実態がわかる史料が見つかり報道されました。それでは、さっそくダイジェストで新発見を振り返ります。(2018年7月31日最終更新)

弥生時代

宮川上流に弥生期装飾品 大紀町の遺跡 有力者の痕跡か 三重 2018年7月7日 伊勢新聞

【度会郡】皇學館大(三重県伊勢市神田久志本町)の岡田登名誉教授(考古学)は6日、大紀町駒の「松原沖E遺跡」で、弥生時代の装身具「管玉」と磨製石器を発見したと発表した。管玉と磨製石器が同じ遺跡から見つかったのは県内5カ所目で、宮川上流での発見は初めて。岡田名誉教授は「宮川上流の交易ルート解明につながる可能性がある」としている。

出典: www.isenp.co.jp

1800年前の集落跡発見 加古川の宗佐遺跡 2018年7月19日 神戸新聞

兵庫県教育委員会は18日、東播磨道の延伸工事に伴い発掘調査中の宗佐遺跡(加古川市八幡町宗佐)で、約1800年前の集落跡が見つかったと発表した。直径8メートルの円形住居など、竪穴住居が5棟確認され、火をくべた炉や柱穴など保存状態が良好という。また、当時からあった谷川が戦国時代に洪水で埋まった痕跡も確認され、水とともに生きてきた人々の暮らしがうかがえる。(広岡磨璃)

出典: www.kobe-np.co.jp

弥生期の大規模集落跡 京都、社会変遷たどる手掛かりに 2018年7月27日 京都新聞

京都市埋蔵文化財研究所は、下京区醒ケ井通松原下ルの元醒泉小で、弥生時代中期初頭(紀元前4~3世紀)の大規模な集落跡が見つかったと発表した。水田や建物の跡、石器や管玉などの出土品もまとまって発見され、近畿北部の弥生社会の変遷や実態を解明する手掛かりになるという。

出典: www.kyoto-np.co.jp

古墳時代

古墳11基確認、珍しい事例 滋賀・高島  2018年7月19日 京都新聞

滋賀県高島市教育委員会は18日、同市新旭町安井川の、南畑・下平両古墳群の発掘調査で、5世紀後半~7世紀に造営された古墳11基を確認したと発表した。横穴式石室や棺(ひつぎ)を直接地面に埋める形式など、隣接する両古墳群から造営年代の異なるさまざまな様式の古墳が見つかり、市教委は「古墳時代後期の約180年にわたり、古墳の変遷を追うことができる珍しい事例」としている。

出典: www.kyoto-np.co.jp

古墳時代の竪穴住居群出土 鹿児島大・郡元キャンパス 2018年7月30日 南日本新聞

鹿児島大学埋蔵文化財調査センターが発掘している郡元キャンパス(鹿児島市)の現場から、古墳時代後期(6世紀頃)の竪穴住居群が見つかった。南九州特有の土器や石包丁なども確認されており、当時の生活環境の解明が期待される

出典: this.kiji.is

飛鳥時代

奈良・藤原京跡 唐三彩の陶器片見つかる 「枕」の一部か 2018年7月20日 毎日新聞

奈良県橿原市教委は20日、同市四条町の藤原京跡から唐三彩を施した藤原宮期(694~710年)の陶器の破片が見つかったと発表した。中国・唐代の陶器で、破片は陶器の「枕(ちん)」の一部とみられる。専門家は「遣唐使が日本に持ち帰ったものの可能性がある」と指摘する。

出典: mainichi.jp

奈良時代

幢幡?巨大な柱根 – 古代から中世 古文書に記述/西大寺旧境内 2018年7月10日 奈良新聞

奈良市の史跡西大寺旧境内で、古代から中世かけての巨大な柱根が奈良文化財研究所の調査で見つかった。境内を荘厳する旗をかけた「幢幡(どうはん)」の支柱の可能性があるという。奈良時代、東大寺と並び称された巨大寺院の威容をしのばせる成果。

出典: www.nara-np.co.jp

鎌倉時代

鎌倉期の人骨出土 全国2例目 曲げ物の棺で埋葬 2018年7月13日 毎日新聞

金沢市は12日、同市千田町の千田北遺跡で、薄い板を円筒形に丸めた曲(ま)げ物(もの)の棺(ひつぎ)に座った姿勢で埋葬された13世紀後半~14世紀初頭(鎌倉時代)の人骨が見つかったと発表した。曲げ物は現在も弁当箱などに使われており、市によると棺としての使用は全国2例目で鎌倉時代では初。市は「埋葬方法の多様化を示す貴重な例」としている。

出典: mainichi.jp

安土桃山時代

最上義光の発給文書2通を発見 「花押」での年代特定に一石 2018年7月5日 産経新聞

戦国時代から江戸時代初期、現在の山形と秋田両県にまたがる「出羽国」の大名、最上義光(もがみよしあき)(1546~1614年)が家臣に与えた発給文書(はっきゅうもんじょ)2点が山形市内の最上家ゆかりの個人宅で見つかった。年号を記すことの少なかった義光の発給文書だが、この2点は義光が天正18(1590)年以前に用いた署名にあたる花押「足利型花押(あしかががたかおう)」が使われていた。発見した山形大学学術研究院の松尾剛次(けんじ)教授(日本史学)は「源氏の継承者である徳川家康政権誕生に伴い足利型花押を使用したのではないか」とみている。

出典: www.sankei.com

吉田城の鬼瓦 池田輝政時代のものと判明 2018年7月7日 豊橋市

吉田城は戦国時代から江戸時代にかけての、東海地方を代表する名城です。平成29年4月には「続日本100名城」に認定されました。この吉田城址から出土したと考えられる桐紋鬼瓦は、以前より豊橋市が所蔵していたもので、最新の研究成果や有識者の意見から、池田輝政時代の貴重な遺物であることが判明しました。

出典: www.city.toyohashi.lg.jp

江戸時代

姫路城下町跡に半地下式かまど 造り酒屋の可能性 2018年7月4日 毎日新聞

兵庫県姫路市埋蔵文化財センターは3日、姫路市五軒邸1の姫路城城下町跡の発掘調査現場で、17~18世紀後半の半地下式のかまどが初めて見つかったと発表した。造り酒屋が並んでいた可能性があるという。

出典: mainichi.jp

シーボルト「お抱え」絵師のびょうぶ、見つかる 2018年7月4日 毎日新聞

 【ブリュッセル八田浩輔】オランダのライデン国立民族学博物館は4日、江戸時代末期に長崎・出島に出入りを許されていた日本人絵師、川原慶賀が長崎湾を描いたびょうぶがオランダ国内で見つかったと発表した。慶賀はオランダ商館のドイツ人医師シーボルトらの依頼で精緻な風俗画や動植物の絵を多く残したことで知られるが、びょうぶは唯一の作品だという。5日から同博物館で展示される。

出典: mainichi.jp

まじないの文言も 忍者集団・伝承の忍術書見つかる 2018年7月4日 毎日新聞

青森大公認の「忍者部」顧問、清川繁人・薬学部教授(57)は4日、弘前藩に仕えた甲賀流の流れをくむ忍者集団「早道之者(はやみちのもの)」の忍術を記したとみられる忍術書の原本が青森県弘前市立図書館で見つかったと発表した。清川教授はこれまでも忍者屋敷だったとみられる古民家を弘前市内で確認するなどしているが、県内で忍術書が見つかったのは初めてという。

出典: mainichi.jp

江戸天明の泥流災害 物語る人骨出土 八ツ場ダム予定地の遺跡 2018年7月10日 上毛新聞

1783(天明3)年の浅間山噴火で発生した天明泥流で被災した石川原遺跡(長野原町川原湯)で、泥流の犠牲になったとみられる人骨3体が見つかったと、群馬県埋蔵文化財調査事業団が9日発表した。遺跡は八ツ場ダムの建設工事に伴い発掘された。天明の噴火の犠牲者が発見されるのは約30年ぶりで、ダム予定地では初めて。事業団は、吾妻川と利根川流域で1500人以上が犠牲になった泥流災害を物語る発見としている。

出典: www.jomo-news.co.jp

<戊辰戦争150年>会津出兵、猟師も動員 仙台藩史料、秋保温泉の旅館で発見 2018年7月16日 河北新報

戊辰戦争の会津出兵で、仙台藩が仙台市太白区秋保町の猟師を農兵として動員したことを示す史料が、秋保温泉にある温泉旅館「岩沼屋」の蔵で見つかった。温泉街がある湯元地区などから出向いた11人の戦いや兵糧調達の様子を記している。仙台藩の陣容の全体像は詳しく分かっておらず、専門家は「地域単位の動員が分かる史料は珍しい」と指摘する。

出典: www.kahoku.co.jp

家老屋敷跡にえびす土面 富山市埋蔵文化財センター試掘調査 2018年7月24日 北日本新聞

富山市埋蔵文化財センターは23日、同市千石町5丁目で行った試掘調査で、富山藩家老の富田氏下(しも)屋敷跡から、えびす土面(どめん)が出土したと発表した。江戸後期から幕末にかけて使われた物とみられ、漁業神を祭る信仰・風習が藩の上級藩士にも浸透していたことがうかがえる。

出典: headlines.yahoo.co.jp

凌霜隊、軍服姿の写真発見 新政府軍と戦った旧郡上藩士 2018年7月24日 岐阜新聞

明治150年、幕末の実像が郡上によみがえる-。旧郡上藩の江戸藩邸にいた藩士でつくり、戊辰戦争(1868~69年)で新政府軍と戦った「凌霜隊」。戊辰開戦から150年の今年、副隊長・坂田林左衛門(りんざえもん)の軍服姿の写真が見つかった。隊員の軍服写真の発見は初めて。生き残った林左衛門の幽閉生活の様子を伝える資料も見つかり、同隊の新たな実像を浮かび上がらせている。

出典: www.gifu-np.co.jp

江戸初期の石垣確認 新宮城下町遺跡 2018年7月31日 紀伊民報

和歌山県新宮市は31日、旧丹鶴小学校(新宮市下本町2丁目)の敷地で取り組んでいる新宮城下町遺跡の発掘調査で、武家屋敷の石垣などが確認されたと発表した。延長30メートルを超える石垣は江戸初期、新宮城築城とともに整備されたと考えられ、担当者は「貴重な資料」と指摘。8月4日に現地説明会を開く。

出典: www.agara.co.jp

徳川家光の駕籠か、福井の寺で発見 藩主がもらった記録 2018年7月31日 朝日新聞

 福井県小浜市の発心寺(ほっしんじ)が所蔵する駕籠(かご)について、江戸幕府の老中・大老を務めた小浜藩主の酒井忠勝(1587~1662)が初入国した際、3代将軍徳川家光(1604~1651)から与えられたものとみられることが分かった。福井県が31日発表した。全国で現存する将軍用の駕籠は徳川家康のものに限られ、重臣だった酒井忠勝と徳川家光の親密さを示す資料として注目される。

出典: www.asahi.com

明治時代

斗南士族の名簿発見、入植実態示す資料  2018年7月24日 東奥日報

明治6(1873)年1月当時の、下北半島北東部の斗南士族の名簿が、北海道の子孫宅に保存されていることが分かった。同3(70)年10月の斗南ケ丘、松ケ丘(青森県むつ市)の戸主名簿は知られているが、それ以外の明治初期の名簿は初めての発見。家族構成、年齢など情報量も多く、郷土史家の三浦順一郎さん(同)は「斗南藩士入植の実態を解明する上で、非常に貴重な史料だ」としている。

出典: www.toonippo.co.jp

遊郭あった吉原、街全景の写真発見 全焼前の明治に撮影   2018年7月26日 朝日新聞

江戸最大の遊郭があった吉原(東京都台東区)の全景を収めた1枚の写真がみつかった。明治時代半ばごろに撮影されたとみられ、専門家は、1911(明治44)年に全焼する前の吉原の街の全貌(ぜんぼう)をとらえた貴重な写真として注目する。

出典: www.asahi.com

大正時代

米騒動に男性多数参加していた 県の報告文書見つかる 2018年7月20日 北日本新聞

近藤学芸員(滑川市立博物館)調査、「女一揆」の印象覆す 1918(大正7)年8月に滑川で起きた県内最大規模の米騒動を国に伝える県の報告文書が、滑川市立博物館の調査で見つかった。貧しい漁師の妻らを中心とした「女一揆」のイメージが強いが、滑川では参加者の大半が男性の会社員や学生だった状況を詳細に記す。当時の民衆の様子が生々しくつづられ、近藤浩二学芸員は「中流層の男性の参加が騒動を拡大させたことを示した貴重な史料だ」と話している。(文化部・中田真紀)

出典: this.kiji.is

また、来月も心躍るような新たな発見がありますように…。

2018年(平成30年)日本史新発見のまとめ