【忠臣蔵】平成最後の暮れに「最後の忠臣蔵」

投稿者: | 2018年12月11日

平成30年も残りわずかとなりました。平成としての年越しは今年が最後ということになります。師走には忠臣蔵をイメージする方も多いかと思うのですが、近年は地上波での新たな忠臣蔵の放送は少なくなっています。

それでもやはり年末には忠臣蔵という方におすすめなのが今回紹介する「最後の忠臣蔵」です。華やかな討ち入りとはまた違ったしっとりとして涙を誘う忠臣蔵。いつもの忠臣蔵とは違う感動があなたを包みます。

映画「最後の忠臣蔵」

映画「最後の忠臣蔵」は、池宮彰一郎の同名の小説を原作として、2010年に公開されました。公開時には、ぴあ初日満足度ランキングで第1位に輝いています。

最期の忠臣蔵の舞台は、討ち入りから16年後。討ち入りに参加せずに逃亡したとされる瀬尾孫左衛門、そして討ち入り後になぞの失踪をとげた寺坂吉右衛門。ふたりの運命が再び交差します。

なぜ、孫左衛門は逃亡したのか?なぜ吉右衛門は謎の失踪をしたのか?忠実の赤穂事件では謎とされていることを「最後の忠臣蔵」では日本人の琴線に響く「忠臣蔵」として描きます。

キャスト

瀬尾孫左衛門 … 役所広司 寺坂吉右衛門 … 佐藤浩市 可音 … 桜庭ななみ 茶屋修一郎 … 山本耕史 茅野きわ … 風吹ジュン 奥野将監 … 田中邦衛 進藤長保 … 伊武雅刀 茶屋四郎次郎 … 笈田ヨシ ゆう … 安田成美 大石内蔵助 … 片岡仁左衛門(特別出演)

スタッフ

 原作 :池宮彰一郎 監督 :杉田成道 脚本 :田中陽造 音楽 :加古 隆

より楽しむための基礎情報

モデルとなっている赤穂事件の実在の人物について知っていると映画をより楽しむことができます。ここでは、瀬尾孫左衛門、寺坂吉右衛門についてご案内します。

瀬尾孫左衛門

孫左衛門は、赤穂藩家老大石良雄(内蔵助)に仕えていました。赤穂藩主浅野長矩の陪臣にあたります。大石家家臣ですから、浅野家旧臣の盟約に加わる立場ではないものの、主である大石に懇願して加わったとされてます。仕える大石が本懐を遂げるのを助けたいという思いが強かったのではないでしょうか。

元禄15年12月14日の討ち入りの数日前(僅か2日前の12日との説もあり)に孫左衛門は、大石が仮屋としていた川崎平間村(孫左衛門は留守居として滞在)から退去、逃亡し脱盟したとされています。

それまで献身的に大石を支えていた孫左衛門の失踪は、様々な憶測を呼ぶことになります。それは、討ち入りの翌年に、大石の妻理玖が孫左衛門(剃髪し「休真」)に送った手紙の写しが残されていて、孫左衛門が単なる逃亡者であるならば、このような手紙が送られる可能性が低いのではないかと考えられるためです。

理玖が書状は、孫左衛門が送った大石らの切腹についてお悔やみの書状に対する返書とされていて、関係の深かった家臣へ心情を吐露している内容となっています。果たして、逃亡者、脱盟者がお悔やみ状など出せるのか?そのような書状に妻が返書をしたためるのか・・・ということになります。

わたしは、大石が大石家に献身的に仕えた孫左衛門を浅野家直臣ではないことを理由に、そのやさしさから討ち入りに加わえなかったのではないかと推測します。

寺坂吉右衛門

吉右衛門は浅野家に、足軽として仕えていました。足軽であるがゆえに、当初義盟には加わっていませんでした。しかし、孫左衛門同様に懇願して加えられています。

吉良邸への討ち入りでは裏門隊に属し、討ち入り後に泉岳寺まで向かう途中で、姿を消したとされています。吉右衛門もここから様々な憶測を生み、忠臣蔵では大石の命を受けて、浅野長広(大学)や瑤泉院に討ち入りの様子を報告したと描かれることが多いようです。

実際に、他の四十六士がお預けになった後に、吉右衛門が大学のいる広島に行っている記録は残っているようです。

生き尽くす。その使命を、その大切な人を、守るために。

なぜ、孫左は裏切り者の汚名を背負って生き尽くしたか。使命は?そして大切な人とは・・平成最後の暮れにおすすめの作品です。

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