戦国ファン必見!泰巖(たいがん)歴史美術館が町田にオープン

投稿者: | 2020年3月22日

令和2年3月22日(日)泰巖(たいがん)歴史美術館が開館しました。戦国時代、とりわけ織田信長に関する史料が充実と聞いていましたので早速訪問してきました。(2020年3月22日最終更新)

こちらの美術館は、個人が収蔵していたものを管理するために設立された一般財団法人太陽コレクションが、広くこれらの史料を公開する趣旨で開設されたそうです。

美術館は小田急線町田駅北口から徒歩数分のところにあります。美術館の名称「泰巖(たいがん)」は信長公の戒名からとのことで、信長公の史料中心の歴史美術館であることが名称からも感じることができます。

町田駅を背に歩いて数分、右側に三角屋根の建物が見えてきます。こちらが泰巖歴史美術館です。駅からとても近いのは嬉しいですね。おそらく迷うことはありません。

さてさてどんな史料か…は撮影が禁止のため写真ではご紹介できませんので、少しだけご紹介すると…。

とにかく!信長公の書状など文書類が充実しています。わたしもここまで多くの天下布武朱印・黒印をまとめて見た記憶はありません。家臣あての事務文書から、武田信玄・上杉謙信などへ宛てた公文書まで様々な書状があり、相手への気遣いなどの細やかさなどその当時の外交関係を感じることができます。

家臣や子信忠への書状などは、たとえば「鶴が足りないから殺して早く持ってこい」くらいな勢いがあります。わざわざ「殺して」は必要かなと…。また、佐久間信盛あてには「松永(久秀)父子が死んで心地よい」などと記しています。何だか戦国の世とはいえ信長公の性格の厳しさに触れた感があります。

本能寺の変後に柴田勝家と丹羽長秀が善後策を相談している書状もありました。「明智を踏みつぶしてやる!」とかなりご立腹です。当然ですよね。でも「油断はできない」とも記しています。

豊臣秀吉の書状もあり、公文書と北政所あての文書の筆跡の違いがわかる展示になっています。北政所あての文書はとにかくやわらかいです。家族にはやさしいんですよね。

そのほか、甲越の間を取り持とうとする信長公の文書、武田信玄から織田家が味方してくれたことへの感謝の書状足利義昭のかわいらしい花押の書状、上杉景勝の御館の乱勝利目前の書状、など当時の外交関係等がわかる史料の展示もありました。

武田勝頼が山県昌満(山県昌景の子)に宛てて、高天神城や諏訪原城をしっかり守ることを命じている書状などは、武田氏と織田・徳川氏との壮絶な戦いの様子を知ることができます。

書状のことばかり書きましたがそのほか、甲冑や刀剣、鉄砲などの武具類、信長公の茶道具などもの展示も充実しています。本能寺所蔵の茶器も多かったのですが、本能寺が信長公の茶道具を所蔵しているのはやはり本能寺の変のためなのでしょうか??

さらに豊臣秀吉の陣羽織の孔雀柄の美しさは必見だとおもいます。

戦国ファン必見の美術館、さながら織田信長ミュージアムですね。ぜひ一度足を運んでみるのはいかがでしょうか?

泰巖(たいがん)歴史美術館の公式WEBはこちら