赤穂事件とそれを基にした忠臣蔵関連の新発見は、毎年討ち入りの季節になるといくつか出てくるような傾向があります。歴史は生きものという言葉もあるように新しい発見がこれまでの定説を覆すこともあります。ここでは赤穂事件と忠臣蔵に関係する新発見をまとめてまいります。
目次
大石内蔵助が遺書託した三尾豁悟 奈良の寺で位牌見つかる(2019年12月14日)
大石内蔵助が遺書託した三尾豁悟 奈良の寺で位牌見つかる 2019年12月14日 徳島新聞
「忠臣蔵」で知られる赤穂藩家老大石内蔵助が1702(元禄15)年12月14日に吉良上野介邸に討ち入る直前、遺書とも言える手紙を託した徳島藩ゆかりの親類三尾豁悟(1654~1713年)の位牌が、奈良市の元興寺に現存していることが分かった。同寺文化財研究所が確認した。豁悟は内蔵助の生活を物心両面で支援した人物。位牌は、豁悟が内蔵助を供養して過ごした晩年の生活をうかがわせる貴重な資料だ。
出典: www.topics.or.jp
討ち入り前、大石内蔵助の書状見つかる(2019年11月8日)
討ち入り前、大石内蔵助の書状見つかる 妻りく懐妊、義父に帰郷日程相談 2019年11月8日 神戸新聞
赤穂義士が吉良上野介(こうずけのすけ)邸に討ち入る約11カ月前、大石内蔵助(くらのすけ)が京都・山科に隠せいしていた時期に妻りくの父に宛てた書状が見つかった。りくの懐妊が分かり、兵庫・豊岡の実家に帰す日程を相談しており、討ち入りに至る過程の裏側を示す内容。赤穂市立歴史博物館(兵庫県赤穂市)が入手し、12月13日~来年2月4日に開く開館30周年記念の特別展「元禄赤穂事件展」で公開する。(坂本 勝)
赤穂城跡、江戸時代の門周辺景観が判明(2018年10月10日)
赤穂城跡、江戸時代の門周辺景観が判明 市教委発掘調査 2018年10月10日 神戸新聞
兵庫県赤穂市教育委員会は10日、国史跡の赤穂城跡(同市上仮屋)の二之丸内の発掘調査で東櫓台は東西約6メートル、南北約7・8メートル、高さ約5・5メートルに及び、櫓台の上に残る花こう岩が礎石だと判明したと発表した。
大石内蔵助の「遺書」現存(2018年11月1日)
大石内蔵助の「遺書」現存 討ち入り前日、親戚へ心情 2018年11月1日 徳島新聞
「忠臣蔵」で知られる赤穂藩家老、大石内蔵助が赤穂事件のあだ討ちを決意した心情をつづった、徳島藩の親戚宛ての手紙が現存していることが、徳島市の徳島城博物館の調査で分かった。吉良上野介邸への討ち入り前日に書いたもので、遺書に当たる。60年以上前に公開された記録があるが、その後は所在が分からなくなっていた。
出典: www.topics.or.jp
大石内蔵助の妻りく直筆の手紙みつかる(2017年12月8日)
大石内蔵助の妻りく直筆の手紙見つかる 豊岡 2017年12月8日 神戸新聞
忠臣蔵で知られる大石内蔵助の妻りくによる直筆の手紙がこのほど、りくの出身地、兵庫県豊岡市で見つかった。手紙には内蔵助の遺児となった三男の仕官や、次女の縁組への喜びがつづられ、関係者は「300年の時を超え、りくの思いがよみがえった」と喜ぶ。赤穂義士の討ち入りがあった14日から2日間、公開される
新たな発見は随時更新してまいります。