2018年10月 日本史新発見ダイジェスト

投稿者: | 2018年11月2日

平成30年10月も各地からたくさんの新たな発見の情報が届きました。月末に報道のあった彦根藩井伊家の第2代当主直孝の長男直滋の甲冑は、直滋没後30年ほどの後に「江戸の屋敷の土蔵から(甲冑が)出てきた。焼くことも考えたが相談し、預ける」という経過を辿って現代に伝わっています。歴史の発見というのは、本当に様々な偶然の上にあるということを改めて実感する報道でした。それでは、さっそくダイジェストで新発見を振り返ります。(2018年11月2日最終更新)

縄文時代

縄文時代の竪穴住居跡、9月末時点で27軒発見 下郷・栗林遺跡 2018年10月12日 福島民友

下郷町中妻の栗林遺跡で行われている福島県教委の発掘調査で、縄文時代中期から後期にかけて造られたとみられる竪穴住居跡が見つかった。9月末時点で27軒に上り、今後の調査でさらに増える可能性がある。土器も出土しており「今回の調査範囲からこれだけ多くの竪穴住居跡が発掘されるのは珍しい。縄文時代の暮らしぶりが分かる」(文化財課)としている。

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古墳時代

20年費やし黒塚古墳報告書完成 奈良・橿考研、甲冑に鹿の毛皮 2018年10月9日 西日本新聞

邪馬台国の女王・卑弥呼が中国・魏から与えられた「銅鏡百枚」の有力候補とされる三角縁神獣鏡33枚が出土した奈良県天理市の黒塚古墳(国史跡)の発掘報告書「黒塚古墳の研究」(八木書店)が約20年かけて完成し、9日、県立橿原考古学研究所が発表した。 出土した鉄製の甲冑の内側に鹿の毛皮が用いられていたことなど最新の研究成果を盛り込んだ。

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奈良出土の三角縁神獣鏡は中国製か 蛍光X線で分析 2018年10月13日 産経新聞

奈良県天理市の黒塚古墳(3世紀後半)から出土した33面の三角縁神獣鏡について、京都市の泉屋博古館(せんおくはっこかん)が大型放射光施設「スプリング8」(兵庫県佐用町)で蛍光(けいこう)X線分析したところ、鏡に含まれる銀などの微量元素の割合が、古代中国鏡とほぼ一致することが分かった。橿原考古学研究所が今月刊行した調査報告書「黒塚古墳の研究」で紹介されている。

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函南に伊豆最大規模古墳 王権との関わり示す 筑波大調査 2018年10月23日 静岡新聞

静岡県内を中心に古墳の発掘調査に取り組む筑波大の滝沢誠准教授(55)と研究室の学生らがこのほど、函南町平井に伊豆半島最大とみられる前方後円墳の存在を確認した。古墳時代前期(3、4世紀)に造られたと考えられ、滝沢准教授は「当時の伊豆地域の状況を知る大きな手がかり」と話す。

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古代生活に思いはせ 福島・鎧塚遺跡の発掘調査説明会 2018年10月29日 福島民友

鎧塚遺跡は吉井田小の北側に位置し、東西約900メートル、南北約100~300メートルの範囲にある古墳時代~平安時代の集落跡。国道13号福島西道路の建設に伴う1989(平成元)年からの発掘調査など、これまで数度の調査が行われてきた。今回の調査箇所は鎧塚遺跡の西端に当たり、竪穴住居跡が5軒見つかった。出土した土器から、いずれも古墳時代の住居跡だと推定されている。

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飛鳥時代

飛鳥京跡苑池 「北池」に階段状の護岸 2018年10月25日 毎日新聞

奈良県明日香村の天皇の宮殿にあった国内初の本格庭園「飛鳥京跡苑池」(7世紀)の発掘調査で、県立橿原考古学研究所は25日、二つある池のうち「北池」のほぼ全周を確認したと発表した。大きさは東西約36メートル、南北約52メートル。西側には長さ約22メートルと7メートルの二つの階段状の護岸が見つかり、専門家は船着き場や臣下のみそぎの場として利用していた可能性があるとみている。

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天女?描いた土製品が出土「ほほえんで愛らしい」 石川 2018年10月31日 朝日新聞

飛鳥時代後半(7世紀後半)の創建とされる石川県野々市(ののいち)市の末松廃寺(すえまつはいじ)跡(国史跡)で、女子像の刻まれた土製品がみつかった。市教育委員会が10月31日に発表した。市教委によれば、土製品は9世紀ごろにつくられた寺院の塔を焼き物で表現した「瓦塔(がとう)」の一部とみられ、絵の描かれた瓦塔の出土は全国初。仏教の弥勒菩薩(みろくぼさつ)に仕える天女との見方も出ており、古代仏教の広がりや瓦塔信仰の実像を考える上でも注目される。

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奈良時代

奈良時代の木心乾漆像と判明 愛媛の毘沙門天像 2018年10月2日 産経新聞

愛媛県大洲市の如法(にょほう)寺が所蔵する毘沙門天(びしゃもんてん)立像が、奈良時代に流行した木心乾漆(もくしんかんしつ)と呼ばれる技法で造られていたことが奈良国立博物館(奈良市)の調査で分かり、同館が1日発表した。同館は「科学的調査で技法の詳細が判明した木心乾漆像は稀有で、彫刻史を研究する上で貴重」としている。

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東山遺跡から2棟の建物跡 紫香楽宮と関連 役所、工房跡か 滋賀 2018年10月19日 産経新聞

滋賀県甲賀市信楽町黄瀬の「東山遺跡」で奈良時代中期の2棟の掘っ立て柱建物跡が見つかり、市教育委員会が18日発表した。聖武天皇が造営したとされる「紫香楽宮(しがらきのみや)」の関連施設とみられ、役所や工房として使われていた可能性が高いという。市教委は「紫香楽宮の全容を解明するための重要な知見を得ることができた」としている。

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長岡京に大規模建物跡、離宮の可能性 京都 2018年10月26日 京都新聞

京都府長岡京市埋蔵文化財センターは25日、長岡京市天神1丁目の長岡京跡で、大規模な建物跡が見つかったと発表した。推定される敷地面積は2万平方メートル以上と広大で、長岡京の中では離宮などに限定される特殊な瓦が出土していることなどから、今回の建物跡も離宮だった可能性があるという。

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下級役人・庶民の家? – 奈良時代後半小規模住宅 主家、倉庫、井戸も/平城京跡 2018年10月26日 奈良新聞

奈良市教育委員会埋蔵文化財調査センターは25日、同市西九条町4丁目の平城京跡から、奈良時代後半(8世紀中~後半)の小規模宅地跡が見つかったと発表した。下級官人や庶民の住宅と推定。宅地内の建物配置の全容が分かり、平城京の住宅事情を知る貴重な資料となるという。

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平安時代

9世紀前半の山寺跡発見か 東北最古級、専門家「徳一と関連」 2018年10月10日 福島民友

会津坂下町の高寺山で、9世紀前半に山寺(山岳寺院)があったとみられる礎石遺構や出土品が見つかった。同山で山寺跡が発見されたのは初めて。宗教考古学専門の時枝務・立正大教授は会津に仏教文化を興隆させた高僧徳一(とくいつ)による慧日寺(えにちじ)(磐梯町)の創建年(807年)の伝承と同時期のため「徳一との関連が推察される」とみている。

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頼通時代の邸宅・高陽院跡で池の石敷き跡出土 民間調査会社が地元に説明 京都 2018年10月17日 産経新聞

宇治・平等院を創建した藤原頼通が11世紀の平安時代に建てた邸宅「高陽院(かやのいん)」跡(京都市中京区)から、池の汀(みぎわ)とみられる石敷き跡が出土し、民間調査会社「アルケス」が16日、地元関係者に説明した。これまでの調査結果から想定した通りに出たといい、頼通時代ごろのものだという。

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秋田・払田柵跡から出土した文書に「小勝城」 当時の米帳簿か 2018年10月22日 河北新報

秋田県の大仙市と美郷町にまたがる平安時代の史跡「払田柵跡(ほったのさくあと)」から昨年出土した漆紙文書に出羽国の城柵「小(雄)勝城」の名が記されていることが分かった。研究チームの三上喜孝国立歴史民俗博物館教授(日本古代史)が20日、同市であった講演会で報告した。

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平安期の刀装具つくる道具出土 魚ノ棚は高級品職人町? 2018年10月24日 京都新聞

京都市下京区油小路通下魚ノ棚下ルの発掘調査で、平安時代末期から鎌倉時代ごろの刀装具をつくるための道具などが見つかった。調査した民間会社は、平安京南部で中世にかけて形成された「七条町」などの職人町が広がりをもって栄えていた痕跡と捉え、高級品も手掛けた京都ならではの商工業地のにぎわいを示す遺構や遺物とみている。

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奥州藤原氏一族「比爪」勢力、花巻にも 万丁目遺跡に居館跡 2018年10月26日 岩手日報

発掘調査が進む花巻市南万丁目の「万丁目遺跡」から、大規模な掘立柱建物跡など12~15世紀前半の居館跡が見つかった。出土した素焼きの器「かわらけ」の特徴から、12世紀に栄えた奥州藤原氏の一族で、紫波町南日詰周辺を拠点とした比爪(ひづめ)氏と深い関わりがあったとみられる。当時平泉に次ぐとされた「比爪」の勢力が花巻市周辺にも及んでいた可能性が初めて示され、東北ほぼ全域に及んだ奥州藤原氏の支配構造を解明する重要な発見だ。

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西寺沿いに規格外の道路と溝 平安京跡 東寺より高い「格」物語る!? 2018年10月26日 産経新聞

平安京の玄関口「羅城門(らじょうもん)」の西側に建てられた西寺の西沿いを走っていた南北道「西大宮大路」(現在の御前通=おんまえどおり)の道路跡が京都市南区の平安京跡から出土し25日、同市が発表した。遷都間もない9世紀前半期の道路とみられ、側溝の幅も当時の規則よりも広く、丁寧に造られていた。市文化財保護課は「官営の寺としての西寺の格の高さを物語る証拠」としている。

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平安京の玄関口 西寺の講堂発掘 火災で再建されず 2018年10月26日 京都新聞

平安京遷都に伴い、都の玄関口に建てられた「西寺(さいじ)」跡(京都市南区)について、中心建物の講堂跡で市文化財保護課が行った初の発掘調査で、建物の基壇や階段の痕跡が見つかった。講堂の位置は従来説と異なり、1キロ東の東寺講堂(同区)と一直線上に並んでいたことが分かった。同課は「西寺と東寺が同一の伽藍配置であると考古的に裏付けられ、平安京が精密な測量技術の基に造営されたことがうかがえる」としている。

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鎌倉時代

800年前の輝き、水晶に阿弥陀如来 京都・醍醐寺で初公開 2018年10月12日 京都新聞

京都市伏見区の醍醐寺は12日、水晶製の容器「龕(がん)」に入った高さ約5・5センチで鎌倉時代の作の阿弥陀如来像を、報道陣に初公開した。容器内に密閉されていたため約800年前の輝きをそのまま維持している。水晶の龕に納められた仏像は他に類例がないといい、専門家は鎌倉時代を代表する仏師快慶作の可能性があるという。

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水路脇で「和鏡」見つかる 飯島町 2018年10月30日 長野日報

飯島町教育委員会は29日、同町本郷で中世(平安末期から室町時代)の和鏡1面が見つかったと発表した。5月に若森社遺跡に隣接する水路の脇の砂利の上に露出し、故意に置かれたようなきれいな状態で見つかったという。どうしてこの場所に、数百年前の遺物が保存状態良いままに、野ざらしであったのか?「謎が謎を呼び、見当がつかない」と、突如巻き起こった歴史ミステリーに関係者は頭をひねっている。

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室町時代

金閣寺に足利義満が造成した幻の池 発掘調査で 2018年10月11日 京都新聞

京都市北区の金閣寺(鹿苑寺)の発掘調査で、同寺や市埋蔵文化財研究所は11日、金閣に面した鏡湖池南側にあったとされる「南池跡」について、創建した足利義満が造成し、未完に終わった池だったことが分かり、同時期の礎石建物も近くで新たに見つかったと発表した。義満が晩年を過ごした「北山殿」では金閣のほか、国内最大級の北山大塔が存在したことがすでに明らかになっている。幻とされた南池跡の出土は、北山殿が現在の建物規模より大規模に造成されたことを裏付け、室町幕府最盛期を築いた権力者・義満の権勢を示すものという。

出典: www.kyoto-np.co.jp

近江八幡「教林坊」から古文書360点 延暦寺関連の写本や版本など発見 2018年10月12日 産経新聞

近江八幡市安土町石寺の寺院「教林坊」で比叡山延暦寺(大津市)にまつわる古文書が大量に見つかった。延暦寺に伝えられてきた修行法などに関する写本や版本で、南北朝時代の年号が記されたものも含まれている。織田信長による焼き討ち(1571年)前の様子を知る手がかりになる可能性もある。

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戦国時代

三戸城正門は北東北最大級/新たな礎石発見 2018年10月14日 東奥日報

三戸町教育委員会は13日、北東北最大の戦国大名・三戸南部氏の居城跡「三戸城跡(城山公園)」の発掘調査現地見学会で、16世紀後半~17世紀初めごろの本丸に通じる正門「大御門(おおごもん)」の柱を支えた礎石1個を新たに発見したと明らかにした。これで計7個の礎石が見つかり、大まかな門の造りが判明。東西の土塁を含めれば門の全体幅は約22メートルで、北東北最大級の大きさを誇るという。

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東北最大級の門柱跡/南部・聖寿寺館跡 2018年10月20日 デーリー東北

南部町教委は19日、戦国時代に北奥羽地方で最大の勢力を誇った三戸南部氏の城館だった、同町小向の国史跡聖寿寺館跡(しょうじゅじたてあと)で、16世紀前半の大規模な門柱跡が見つかったと発表した。門柱の太さは50センチで、室町・戦国期(15世紀~16世紀前半)では東北最大級という。三戸南部氏の勢力の大きさや格式の高さを改めて示す発見となった。

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北塩原・柏木城跡で「堀切」発掘 会津蘆名氏の山城 2018年10月23日 福島民友

会津蘆名氏の山城とされる北塩原村大塩の村指定史跡「柏木城跡」の発堀調査で、本年度は同城の東側から敵の侵入を防ぐ「堀切」が2カ所見つかった。堀切は城内に続く道を挟むように互い違いに造られていた。村教委は「どのように敵の侵入を防ごうかと、蘆名氏が考えていたのかが分かる史跡の一つ」としている。

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15世紀の館主住居か…大型の掘立柱建物跡発見 富岡・毛萱館跡 2018年10月5日 福島民友

富岡町毛萱の毛萱館(けがやたて)跡の発掘調査で、館主の住居だったみられる大型の掘立柱建物跡や調度品が見つかったことが分かった。県教委が4日までに発表した。県教委によると、館跡は構造や調度品の特徴から、15世紀に築造されたと推定される。同地域は戦国時代の1474(文明6)年に楢葉氏が滅亡後、岩城氏と相馬氏が占領を繰り返したとされる。館跡は、堀が深く強固な防備が施されていた。調度品のつぼや茶臼の破片なども出土し、楢葉氏の滅亡前後の情勢を知る手がかりになるという。県教委は「岩城氏と相馬氏がにらみ合った最前線。浜通りの歴史を語る重要な資料」(文化財課)としている。

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安土桃山時代

信長ゆかり大溝城跡で土橋遺構 滋賀、本丸と二の丸つなぐ 2018年10月11日 京都新聞

織田信長が琵琶湖を掌握するために築かせた城の一つ、大溝城の跡(滋賀県高島市勝野)で、本丸と二の丸をつなぐ土橋とみられる遺構を見つけた、と同市教育委員会が10日発表した。市教委は「大溝城の構造を明らかにするうえで貴重な発見」としている。

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大量の金箔瓦、「秀吉の城」か 駿府城公園で発見 2018年10月16日 静岡新聞

静岡市は16日、同市葵区の駿府城公園内の駿府城天守台跡から、豊臣期に作られたとみられる大量の金箔(きんぱく)瓦と、徳川家康が建てた駿府城とは異なる形状の石垣が見つかったと発表した。専門家は「豊臣秀吉の家臣が秀吉の支援を受けて築いた城であったことは間違いない」としていて、家康の居城として名高い駿府城に天下人2人が関わっていたことが明らかになった。

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浜松城、豊臣期は豪壮 櫓の基礎を確認 市の天守曲輪発掘調査 2018年10月31日 静岡新聞

浜松市は30日、浜松城跡(中区)で実施している発掘調査で城の中枢部分「天守曲輪(くるわ)」の南東隅で櫓(やぐら)の基礎を新たに確認したと発表した。徳川家康の関東移封後に城主を務めた堀尾吉晴の時代(1590~1600年)に築かれ、江戸時代初期に埋められたとみられる。市文化財課は豊臣政権下に建てられた豪壮な城が、徳川幕府に否定されたことを物語る貴重な史料と位置付けている。

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江戸時代

佐賀城・水場遺構にかんざしや箸 「奧」の女性たちが利用か 焼けた瓦も大量出土 [佐賀県] 2018年10月5日 西日本新聞

県は明治維新150年を機に昨年度から取り組んでいた佐賀城跡の発掘調査をほぼ終え、佐賀城本丸歴史館(佐賀市城内2丁目)で報道機関向けの現地説明会を開いた。調査で見つかった取水施設や1726年の佐賀城火災で焼けたとみられる大量の瓦などを公開した。調査は幕末維新期の佐賀の歴史について興味や関心を持ってもらおうと実施。本年度は側室や女官らが住んでいた「奥」や、城の正面「御玄関(おげんかん)前」に当たる場所など、五つの区域について調べた。

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赤穂城跡、江戸時代の門周辺景観が判明 市教委発掘調査 2018年10月10日 神戸新聞

兵庫県赤穂市教育委員会は10日、国史跡の赤穂城跡(同市上仮屋)の二之丸内の発掘調査で東櫓台は東西約6メートル、南北約7・8メートル、高さ約5・5メートルに及び、櫓台の上に残る花こう岩が礎石だと判明したと発表した。また、国名勝の二之丸庭園西出入り口の西中門跡に格式ある高麗門の存在を示す礎石を1基発見。「門周辺の江戸時代の景観がほぼ判明した」としている。

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妻お滝からシーボルトへの恋文発覚 国外追放の翌年「あなたを思う毎日…」 西南大教授らオランダで確認 2018年10月12日 西日本新聞

江戸時代に来日し、その後国外追放になったドイツ人医師シーボルトに、日本人妻お滝が送った最も古い手紙がオランダ・ライデン大で見つかった。シーボルトへの深い愛が伝わる内容で、調査した西南学院大の宮崎克則教授は「欧州に送られた最も古い日本語のラブレター」としている。

出典: www.nishinippon.co.jp

江戸後期の登り窯全容把握 伊万里市・古瓶屋下窯跡 県教委調査 日常雑器を大量生産 [佐賀県] 2018年10月11日 西日本新聞

伊万里市脇田町で18世紀前半に稼働した「古瓶屋下(ふるかめやしも)窯跡」を県教育委員会が発掘調査し、全容がほぼ明らかになった。陶器の日常雑器を大量生産していた窯の構造などが判明。江戸後期の窯跡の全体像が把握できたのは県内で初めて。県教委文化財課は「規格化された製品を大量に作っており、当時の生産形態や庶民の生活を知る手がかりになる」としている。

出典: www.nishinippon.co.jp

彦根藩2代目の長男井伊直滋の甲冑発見 滋賀・永源寺で 2018年10月31日 京都新聞

彦根藩井伊家の第2代当主直孝の長男直滋(なおしげ)(1612~61年)の甲冑(かっちゅう)が30日までに滋賀県東近江市永源寺高野町の永源寺で見つかった。直滋は当主にならなかったが、かぶとには、角のような装飾の「天衝(てんつき)」を脇に立てる当主用の意匠が施されており、調査した彦根城博物館(彦根市)は「井伊家の甲冑を考える上で貴重な発見」としている。

出典: www.kyoto-np.co.jp

佐賀城本丸跡から焼けた瓦 300年前の火災か、大量出土 2018年10月3日 佐賀新聞

佐賀城本丸歴史館と県文化財課は2日、佐賀市の佐賀城本丸跡の発掘調査で、約300年前の火災で焼けたとみられる瓦が大量に出土したと発表した。焼けた瓦がまとまって見つかるのは文献記録などでは確認されておらず、佐賀城の創建からの変遷を解明する上で新たな資料となる。

出典: www.saga-s.co.jp

細川家第二家老・米田家の屋敷、平面図見つかる 2018年10月1日 熊本日日新聞

江戸時代、現在の熊本城二の丸公園北側にあった熊本藩細川家の第二家老「米田[こめだ]家」の屋敷を描いた平面図が見つかった。所有者が1日、熊本大付属図書館(熊本市中央区)に寄託する。同大によると、城下の見取り図としては「熊本之[の]図」(1805年)が現存し、家老らの屋敷の位置が書き込まれている。しかし、個別の屋敷の図面はこれまで確認されておらず、専門家らは「とても珍しい。熊本城の史跡としての価値を理解する上で貴重だ」と驚いている。

出典: this.kiji.is

明治時代

西郷どん熟慮にじむ直筆漢詩 明治初期の草稿を発見、京都 2018年10月10日 京都新聞

西郷隆盛の直筆による漢詩の草稿が新たに見つかった。明治2~3(1869~70)年ごろの詩3首が記され、鑑定した専門家は「添削の跡などから推敲(すいこう)を重ねて詠んだことがうかがえ、西郷が残した漢詩を研究する上で貴重な史料だ」としている。

出典: www.kyoto-np.co.jp

戊辰戦争勃発時の京都御所 絵が伝える緊迫感と高揚感 2018年10月10日 朝日新聞

戊辰(ぼしん)戦争の発端となった鳥羽・伏見の戦いが勃発した慶応4(1868)年正月3日夜の京都御所の様子を描いた絵がみつかり、京都文化博物館(京都市中京区)で展示されている。歴史が転回する緊迫の場面を精細に活写し、専門家によれば、美術的にも資料的にも貴重な作品という。

出典: www.asahi.com

多くの発見の積み重ねから明らかになる新事実、いつもわくわくします。また来月も心躍るような新たな発見がありますように…。

2018年(平成30年)日本史新発見のまとめ